修禪寺物語
岡本綺堂

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)伊豆《いづ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)下田五郎|景安《かげやす》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「日+向」、第3水準1−85−25]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)思ひ/\に
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

[#ここから3字下げ]
(伊豆《いづ》の修禪寺《しゆぜんじ》に頼家《よりいへ》の面《おもて》といふあり。作人《さくにん》も知れず。由來もしれず。木彫の假面《めん》にて、年を經たるまゝ面目分明ならねど、所謂《いはゆる》古色蒼然たるもの、觀《み》來《きた》つて一種の詩趣をおぼゆ。當時を追懷してこの稿成る。)

[#ここから2字下げ]
 登場人物

面作師《おもてつくりし》 夜叉王《やしやわう》
夜叉王の娘 かつら
同 かへで
かへでの婿 春彦《はるひこ》
源左金吾《げんざきんご》頼家
下田五郎|景安《かげやす》
金窪兵衞尉行親《かなくぼひやうゑのじようゆきちか》
修禪寺の僧
行親の家來など
[#ここで字下げ終わり]

       (一)

[#ここから3字下げ]
伊豆の國|狩野《かの》の庄、修禪寺村(今の修善寺)桂川《かつらがは》のほとり、夜叉王の住家。
藁葺《わらぶき》の古びたる二重|家體《やたい》。破れたる壁に舞樂の面などをかけ、正面に紺|暖簾《のれん》の出入口あり。下手《しもて》に爐を切りて、素燒の土瓶《どびん》などかけたり。庭の入口は竹にて編みたる門、外には柳の大樹。そのうしろは畑を隔てゝ、塔の峯つゞきの山または丘などみゆ。元久元年七月十八日。
[#ここから5字下げ]
(二|重《ぢゆう》の上手《かみて》につゞける一間の家體は細工場《さいくば》にて、三方に古《ふ》りたる蒲簾《がますだれ》をおろせり。庭さきには秋草の花咲きたる垣に沿うて荒むしろを敷き、姉娘|桂《かつら》廿歳。妹娘|楓《かへで》、十八歳。相對して紙砧《かみぎぬた》を擣《う》つてゐる。)
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
かつら (軈《やが》て砧の手をやめる)一|※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《とき》餘りも擣ちつゞけたので、肩も腕も痺るゝやうな。もうよいほどにして止めうでないか。
かへで とは云ふものゝ、きのふまでは盆休みであつたほどに、けふからは精出して働かうではござんせぬか。
かつら 働きたくばお前ひとりで働くがよい。父樣《とゝさま》にも春彦どのにも褒められようぞ。わたしは忌《いや》ぢや、忌になつた。(投げ出すやうに砧を捨つ)
かへで 貧の手業《てわざ》に姉妹が、年ごろ擣ちなれた紙砧を、兎かくに飽きた、忌になつたと、むかしに變るお前がこの頃の素振は、どうしたことでござるか喃《なう》。
かつら (あざ笑ふ)いや、昔とは變らぬ。ちつとも變らぬ。わたしは昔からこのやうな事を好きではなかつた。父さまが鎌倉においでなされたら、わたし等も斯《か》うはあるまいものを、名聞《みやうもん》を好まれぬ職人|氣質《かたぎ》とて、この伊豆の山家に隱れ栖《ずみ》、親につれて子供までも鄙《ひな》にそだち、詮事《せうこと》無しに今の身の上ぢや。さりとてこのまゝに朽ち果てようとは夢にも思はぬ。近いためしは今わたし等が擣つてゐる修禪寺紙、はじめは賤しい人の手につくられても、色好紙《いろよしがみ》とよばれて世に出づれば、高貴のお方の手にも觸るゝ。女子《をなご》とてもその通りぢや。たとひ賤しう育つても、色好紙の色よくば、關白大臣將軍家のおそばへも、召出されぬとは限るまいに、賤《しづ》の女《め》がなりはひの紙砧、いつまで擣ちおぼえたとて何とならうぞ。忌になつたと云うたが無理か。
かへで それはおまへが口癖に云ふことぢやが、人には人それ/″\の分があるもの。將軍家のお側近う召さるゝなどと、夢のやうな事をたのみにして、心ばかり高う打ちあがり、末はなんとならうやら、わたしは案じられてなりませぬ。
かつら お前とわたしとは心が違ふ。妹のおまへは今年十八で、春彦といふ男を持つた。それに引きかへて姉のわたしは、二十歳といふ今日の今まで、夫もさだめずに過したは、あたら一生を草の家に、住み果つまいと思へばこそぢや。職人|風情《ふぜい》の妻となつて、滿足して暮すおまへ等に、わたしの心はわかるまい喃。(空|嘯《うそぶ》く)
[#ここから5字下げ]
(楓の婿春彦、廿餘歳、奧より出づ。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
春彦 桂どの。職人風情と
次へ
全9ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング