げ]
(夜叉王は默して答へず。)
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五郎 なに、面は已に出來《しゆつたい》してをるか。
頼家 えゝ、おのれ。前後不揃ひのことを申立てゝ、予をあざむかうでな。
かつら いえ、いえ、嘘いつはりではござりませぬ。面はたしかに出來して居りまする。これ、父樣。もうこの上は是非がござんすまい。
かへで ほんにさうぢや。ゆうべ漸《やうや》く出來したと云ふあの面を、いつそ獻上なされては……。
僧 それがよい、それがよい。こなたも凡夫ぢや。名も惜からうが、命も惜からう。出來した面があるならば、早う上樣にさしあげて、お慈悲をねがふが上分別ぢやぞ。
夜叉王 命が惜いか、名が惜いか、こなた衆の知つたことではない。默つておゐやれ。
僧 さりとて、これが見てゐられうか。さあ、娘御。その面を持つて來て、兎もかくも御覽に入れたがよいぞ。早う、早う。
かへで あい、あい。
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(かへでは細工場へ走り入りて、木彫の假面《めん》を入れたる箱を持ち出づ。桂はうけ取りて頼家の前にさゝぐ。頼家は無言にて桂の顏をうちまもり、心少しく解けたる體なり。)
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かつら いつはりならぬ證據、これ御覽くださりませ。
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(頼家は假面を取りて打ちながめ、思はず感嘆の聲をあげる。)
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頼家 おゝ、見事ぢや。よう打つたぞ。
五郎 上樣おん顏に生寫しぢや。
頼家 むゝ。(飽かず打戍る)
僧 さればこそ云はぬことか。それほどの物が出來してゐながら、兎かう澁つて居られたは、夜叉王どのも氣の知れぬ男ぢや。はゝゝゝゝ。
夜叉王 (形をあらためる)何分にもわが心にかなはぬ細工、人には見せじと存じましたが、かう相成つては致方もござりませぬ。方々にはその面《おもて》をなんと御覽なされまする。
頼家 さすがは夜叉王、あつぱれの者ぢや。頼家も滿足したぞ。
夜叉王 あつぱれとの御賞美は憚《はゞか》りながらおめがね違ひ、それは夜叉王が一生の不出來。よう御覽《ごらう》じませ。面は死んでをりまする。
五郎 面が死んでをるとは……。
夜叉王 年ごろあまた打つたる面は、生けるがごとしと人も云ひ、われも許して居りましたが、不思議やこのたびの面に限つて、幾たび打直しても生きたる色なく、たましひもなき死人の相……。それは世にある人の面ではござりませぬ。死人の面でござりまする。
五郎 そちは左樣に申しても、われらの眼には矢はり生きたる人の面……。死人の相とは相見えぬがなう。
夜叉王 いや、いや、どう見直しても生ある人ではござりませぬ。しかも眼《まなこ》に恨を宿し、何者をか呪ふがごとき、怨靈《をんりやう》怪異《あやかし》なんどのたぐひ……。
僧 あ、これ、これ、そのやうな不吉のことは申さぬものぢや。御意にかなへばそれで重疊《ちようでふ》、ありがたくお禮を申されい。
頼家 むゝ、兎にも角にもこの面は頼家の意にかなうた。持歸るぞ。
夜叉王 強《たつ》て御所望とござりますれば……。
頼家 おゝ、所望ぢや。それ。
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(頼家は頤《あご》にて示せば、かつら心得て假面を箱に納め、すこしく媚を含みて頼家にさゝぐ。頼家は更にその顏をぢつと視る。)
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頼家 いや、猶《なほ》かさねて主人《あるじ》に所望がある。この娘を予が手許に召仕ひたう存ずるが、奉公さする心はないか。
夜叉王 ありがたい御意にござりまするが、これは本人の心まかせ、親の口から御返事は申上げられませぬ。
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(桂は臆せず、すゝみ出づ。)
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かつら 父樣。どうぞわたしに御奉公を……。
頼家 うい奴ぢや。奉公をのぞむと申すか。
かつら はい。
頼家 さらばこれよりその面をさゝげて、頼家の供してまゐれ。
かつら かしこまりました。
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(頼家は起《た》つ。五郎も起つ。桂もつゞいて起つ。楓は姉の袂をひかへて、心許《こゝろもと》なげに囁く。)
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かへで 姉さま。おまへは御奉公に……。
かつら おまへは先程、夢のやうな望みと笑うたが、夢のやうな望みが今叶うた。
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(かつらは誇りがに見かへりて、庭に降り立つ。)
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僧 やれ、やれ、これで愚僧も先づ安堵いたした。夜叉王どの、あす又逢ひませうぞ。
[#こ
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