具ぢや。一刻も早う取寄せて置かうぞ。
夜叉王 おゝ、職人はその心掛けがなうてはならぬ。更けぬ間に、ゆけ、行け。
春彦 夜とは申せど通ひなれた路、一|※[#「日+向」、第3水準1−85−25]《とき》ほどに戻つて來まする。
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(春彦は出てゆく。楓は門にたちて見送る。修禪寺の僧一人、燈籠を持ちて先に立ち、つゞいて源《みなもと》の頼家卿、廿三歳。あとより下田五郎景安、十七八歳、頼家の太刀《たち》をさゝげて出づ。)
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僧 これ、これ、將軍家の御しのびぢや。粗相があつてはなりませぬぞ。
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(楓ははッと平伏す。頼家主從すゝみ入れば、夜叉王も出で迎へる。)
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夜叉王 思ひもよらぬお成《なり》とて、なんの設けもござりませぬが、先づあれへお通りくださりませ。
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(頼家は縁に腰を掛ける。)
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夜叉王 して、御用の趣は。
頼家 問はずとも大方は察して居らう。わが面體《めんてい》を後のかたみに殘さんと、さきに其方を召出し、頼家に似せたる面《おもて》を作れと、繪姿までも遣《つか》はして置いたるに、日を經《ふ》るも出來《しゆつたい》せず。幾たびか延引を申立てゝ、今まで打過ぎしは何たることぢや。
五郎 多寡《たくわ》が面一つの細工、いかに丹精を凝らすとも、百日とは費すまい。お細工仰せつけられしは當春の初め、其後|已《すで》に半年をも過ぎたるに、いまだ獻上いたさぬとは餘りの懈怠《けたい》、もはや猶豫《いうよ》は相成らぬと、上樣の御機嫌さん/″\ぢやぞ。
頼家 予は生れついての性急ぢや。いつまで待てど暮せど埓あかず、あまりに齒痒う覺ゆるまゝ、この上は使など遣はすこと無用と、予が直々に催促にまゐつた。おのれ何故に細工を怠り居るか。仔細をいへ、仔細を申せ。
夜叉王 御立腹おそれ入りましてござりまする。勿體なくも征夷大將軍、源氏の棟梁のお姿を刻めとあるは、職のほまれ、身の面目、いかでか等閑《なほざり》に存じませうや。御用うけたまはりて已に半年、未熟ながらも腕限り根かぎりに、夜晝となく打ちましても、意にかなふほどのもの一つも無く、更に打ち替へ作り替へて、心ならずも延引に延引をかさねましたる次第、なにとぞお察しくださりませ。
頼家 えゝ、催促の都度におなじことを……。その申譯は聞き飽いたぞ。
五郎 この上は唯だ延引とのみでは相濟むまい。いつの頃までにはかならず出來するか、あらかじめ期日をさだめてお詫を申せ。
夜叉王 その期日は申上げられませぬ。左に鑿をもち、右に槌を持てば、面はたやすく成るものと思召すか。家をつくり、塔を組む、番匠なんどとは事變りて、これは生《しやう》なき粗木《あらき》を削り、男、女、天人、夜叉、羅刹《らせつ》、ありとあらゆる善惡邪正《ぜんなくじやしやう》のたましひを打ち込む面作師。五體にみなぎる精力《せいりき》が、兩の腕《かひな》におのづから湊《あつ》まる時、わがたましひは流るゝ如く彼に通ひて、はじめて面も作られまする。但しその時は半月の後か、一月の後か、あるひは一年二年の後か。われながら確《しか》とはわかりませぬ。
僧 これ、これ、夜叉王どの。上樣は御自身も仰せらるゝごとく、至つて御性急でおはします。三島の社の放し鰻《うなぎ》を見るやうに、ぬらりくらりと取止めのないことばかり申上げてゐたら、御|癇癖《かんぺき》がいよ/\募らうほどに、こなたも職人冥利、いつの頃までと日を限つて、しかと御返事を申すがよからうぞ。
夜叉王 ぢやと云うて、出來ぬものはなう。
僧 なんの、こなたの腕で出來ぬことがあらう。面作師も多くあるなかで、伊豆の夜叉王といへば、京鎌倉までも聞えた者ぢやに……。
夜叉王 さあ、それゆゑに出來ぬと云ふのぢや。わしも伊豆の夜叉王と云へば、人にも少しは知られたもの。たとひお咎《とが》め受けうとも、己が心に染まぬ細工を、世に殘すのはいかにも無念ぢや。
頼家 なに、無念ぢやと……。さらばいかなる祟りを受けうとも、早急《さつきふ》には出來ぬといふか。
夜叉王 恐れながら早急には……。
頼家 むゝ、おのれ覺悟せい。
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(癇癖募りし頼家は、五郎のさゝげたる太刀を引つ取つて、あはや拔かんとす。奧より桂、走り出づ。)
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かつら まあ、まあ、お待ちくださりませ。
頼家 えゝ、退け、のけ。
かつら 先づお鎭まりくださりませ。面《おもて》は唯今獻上いたしまする。なう、父樣《とゝさま》。
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