をもって、素性《すじょう》も得知れぬ賤《いや》しの女子どもを、おん側近う召されしは……。
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(桂は堪えず、すすみ出づ。)
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かつら 兵衛どのとやら、お身は卜者《うらや》か人相見か。初見参《ういげんざん》のわらわに対して、素姓賤しき女子などと、迂濶《うかつ》に物を申されな。妾《わらわ》は都のうまれ、母は殿上人にも仕えし者ぞ。まして今は将軍家のおそばに召されて、若狭の局とも名乗る身に、一応の会釈もせで無礼の雑言《ぞうごん》は、鎌倉武士というにも似ぬ、さりとは作法をわきまえぬ者のう。
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(冷笑《あざわら》われて、行親は眉をひそめる。)
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行親 なに。若狭の局……。して、それは誰に許された。
頼家 おお、予が許した。
行親 北条どのにも謀《はか》らせたまわず……。
頼家 北条がなんじゃ。おのれらは二口目には北条という。北条がそれほどに尊いか。時政も義時も予の家来じゃぞ。
行親 さりとて、尼御台《あまみだい》もおわしますに……。
頼家 ええ、くどい奴。おのれらの言うこと、聴くべき耳は持たぬぞ。退《すさ》れ、すされ。
行親 さほどにおむずかり遊ばされては、行親申し上ぐべきようもござりませぬ。仰せに任せて今宵はこのまま退散、委細は明朝あらためて見参の上……。
頼家 いや、重ねて来ること相成らぬぞ。若狭、まいれ。
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(頼家は起ち上りて桂の手を取り、打ち連れて橋を渡り去る。行親はあとを見送る。芒のあいだに潜みし軍兵《つわもの》出づ。)
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兵一 先刻より忍んで相待ち申したに、なんの合図もござりませねば……。
兵二 手を下すべき機《おり》もなく、空しく時を移し申した。
行親 北条殿の密旨を蒙《こうむ》り、近寄って討ちたてまつらんと今宵ひそかに伺候したるが、さすがは上様、早くもそれと覚《さと》られて、われに油断を見せたまわねば、無念ながらも仕損じた。この上は修禅寺の御座所へ寄せかけ、多人数一度にこみ入って本意を遂ぎょうぞ。上様は早業の達人、近習《きんじゅう》の者どもにも手だれあり。小勢の敵と侮りて不覚を取るな。場所は狭し、夜いくさじゃ。うろたえて同士撃《どしう》ちすな。
兵 はっ。
行親 一人はこれより川下へ走せ向うて、村の出口に控えたる者どもに、即刻かかれと下知《げじ》を伝えい。
兵一 心得申した。
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(一人は下手に走り去る。行親は一人を具して上手に入る。木かげより春彦、うかがい出づ。)
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春彦 大仁《おおひと》の町から戻《もど》る路々《みちみち》に、物の具したる兵者《つわもの》が、ここに五人かしこに十人|屯《たむろ》して、出入りのものを一々詮議するは、合点《がてん》がゆかぬと思うたが、さては鎌倉の下知によって、上様を失いたてまつる結構な。さりとは大事じゃ。
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(遠近《おちこち》にて寝鳥《ねとり》のおどろき起つ声。下田五郎は橋を渡りて出づ。)
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五郎 常はさびしき山里の、今宵は何とやらん物さわがしく、事ありげにも覚ゆるぞ。念のために川の上下《かみしも》を一わたり見廻《みまわ》ろうか。
春彦 五郎どのではおわさぬか。
五郎 おお、春彦か。
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(春彦は近づきてささやく。)
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五郎 や、なんと言う。金窪の参入は……。上様を……。しかと左様か。むむ。
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(五郎はあわただしく引っ返しゆかんとする時、橋の上より軍兵一人|長巻《ながまき》をたずさえて出で、無言にて撃ってかかる。五郎は抜きあわせて、たちまち斬《き》って捨つ。軍兵数人、上下より走り出で、五郎を押っ取りまく。)
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五郎 やあ、春彦。ここはそれがしが受け取った。そちは御座所へ走せ参じて、この趣を注進せい。
春彦 はっ。
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(春彦は橋をわたりて走り去る。五郎は左右に敵を引き受けて奮闘す。)
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第三場
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もとの夜叉王の住家。夜叉王は門《かど》にたちて望む。修禅寺にて早鐘を撞く音きこゆ。
(向うより楓は走り出づ。)
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かえで
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