えりて、庭に降り立つ。)
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僧 やれ、やれ、これで愚僧もまず安堵《あんど》いたした。夜叉王どの、あすまた逢《あ》いましょうぞ。
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(頼家は行きかかりて物につまずく。桂は走り寄りてその手を取る。)
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頼家 おお、いつの間にか暗うなった。
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(僧はすすみ出でて、桂に燈籠を渡す。桂は仮面の箱を僧にわたし、われは片手に燈籠を持ち、片手に頼家をひきて出づ。夜叉王はじっと思案の体なり。)
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かえで 父さま、お見送りを……。
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(夜叉王は初めて心づきたるごとく、娘とともに門口に送り出づ。)
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五郎 そちへの御褒美《ごほうび》は、あらためて沙汰《さた》するぞ。
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(頼家らは相前後して出でゆく。夜叉王は起ち上りて、しばらく黙然としていたりしが、やがてつかつかと縁にあがり、細工場より槌を持ち来たりて、壁にかけたるいろいろの仮面を取り下し、あわや打ち砕かんとす。楓はおどろきて取り縋《すが》る。)
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かえで ああ、これ、なんとなさる。おまえは物に狂われたか。
夜叉王 せっぱ詰まりて是非におよばず、拙《つたな》き細工を献上したは、悔んでも返らぬわが不運。あのような面が将軍家のおん手に渡りて、これぞ伊豆の住人夜叉王が作と宝物帳にも記《しる》されて、百千年の後までも笑いをのこさば、一生の名折れ、末代の恥辱、所詮《しょせん》夜叉王の名は廃《すた》った。職人もきょう限り、再び槌は持つまいぞ。
かえで さりとは短気でござりましょう。いかなる名人上手でも細工の出来不出来は時の運。一生のうちに一度でもあっぱれ名作が出来ようならば、それがすなわち名人ではござりませぬか。
夜叉王 むむ。
かえで 拙い細工を世に出したをそれほど無念と思し召さば、これからいよいよ精出して、世をも人をもおどろかすほどの立派な面を作り出し、恥を雪《すす》いでくださりませ。
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(かえでは縋りて泣く。夜叉王は答えず、思案の眼を瞑《と》じている。日暮れて笛の声遠くきこゆ。)
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第二場
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おなじく桂川のほとり、虎渓橋《こけいきょう》の袂。川辺には柳|幾本《いくもと》たちて、芒《すすき》と芦《あし》とみだれ生いたり。橋を隔てて修禅寺の山門みゆ。同じ日の宵。
(下田五郎は頼家の太刀を持ち、僧は仮面《めん》の箱をかかえて出づ。)
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五郎 上様は桂どのと、川辺づたいにそぞろ歩き遊ばされ、お供のわれわれは一足先へまいれとの御意であったが、修禅寺の御座所ももはや眼のまえじゃ。この橋の袂《たもと》にたたずみて、お帰りを暫時相待とうか。
僧 いや、いや、それはよろしゅうござるまい。桂殿という嫋女《たおやめ》をお見出しあって、浮れあるきに余念もおわさぬところへ、われわれのごとき邪魔|外道《げどう》が附き纏《まと》うては、かえって御機嫌を損ずるでござろうぞ。
五郎 なにさまのう。
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(とは言いながら、五郎はなお不安の体にてたたずむ。)
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僧 ことに愚僧はお風呂《ふろ》の役、早う戻《もど》って支度をせねばなるまい。
五郎 お風呂とておのずと沸いて出づる湯じゃ。支度を急ぐこともあるまいに……。まずお待ちゃれ。
僧 はて、お身にも似合わぬ不粋をいうぞ。若き男女《おとこおうな》がむつまじゅう語ろうているところに、法師や武士は禁物じゃよ。ははははは。さあ、ござれ、ござれ。
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(無理に袖をひく。五郎は心ならずも曳かるるままに、打ち連れて橋を渡りゆく。月出づ。桂は燈籠を持ち、頼家の手をひきて出づ。)
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頼家 おお、月が出た。河原づたいに夜ゆけば、芒にまじる芦の根に、水の声、虫の声、山家《やまが》の秋はまたひとしおの風情《ふぜい》じゃのう。
かつら 馴《な》れてはさほどにもおぼえませぬが、鎌倉山の星月夜とは事変りて、伊豆の山家の秋の夜は、さぞお寂しゅうござりましょう。
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(頼家はありあう石に腰打ちかけ、桂は燈籠を持ちたるまま、橋の欄に凭《よ》りて立つ。
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