にしなければならない。口碑によれば、むかし豊島郡石浜にあった普門院という寺が亀戸村に換地をたまわって移転する時、寺の什物《じゅうもつ》いっさいを船にのせて運ぶ途中、あやまって半鐘を淵の底に沈めたので、そのところを鐘ヶ淵と呼ぶというのである。「江戸|砂子《すなご》」には橋場の無源寺の鐘楼がくずれ落ちて、その釣鐘が淵に沈んだのであるともいっている。半鐘か釣鐘か、いずれにしても或る時代に或る寺の鐘がここに沈んで、淵の名をなしたということになっている。将軍吉宗はきょう初めてその伝説を聞いたのか、あるいはかねて聞いていたので、きょうはその探険を実行しようと思い立ったのか。幸いに今日は空も晴れている、そよとの風もない。まことに穏やかな日和《ひより》であるから、水練の者を淵の底にくぐらせて、果して世にいうがごとく鐘が沈んでいるかどうかを詮議させろという命令を下したのであった。
大勢のなかから選み出されたのは三人の名誉であるといってよい。しかし普通の水練とは違って、この命令には三人もすこしく躊躇した。かの鐘はむかしから引揚げを企てた者もあったが、それがいつも成功しないのは水神が惜しませたまう故であると伝えられている。また、その鐘の下には淵の主《ぬし》が棲んでいるとも伝えられている。支那の越王潭《えつおうたん》には青い牛が棲み、亀山の淵には青い猿が沈んでいるという、そうした奇怪な伝説も思いあわされて、三人もなんだか気味悪く感じたが、将軍家の上意とあれば、辞退すべきようはない。火の中でも水の底でも猶予なく飛び込まなければならない。こう覚悟すると、かれらもさすがに武士である。それにはまた一種の冒険的興味も加わって、三人はまず山下にむかってお請けの旨を答えた。
組頭もそばから注意した。
「大事の御用だ。一生懸命に仕《つかま》つれ。」
「かしこまりました。」
三人は勇ましく答えた。山下のあとに付いて行くと、将軍も野懸け装束で、芝生のなかの茶屋に腰をかけていた。あたりには、今を盛りのつつじの花が真っ紅に咲きみだれていた。将軍の口からも山下が今いったのと同じ意味の命令が直きじきに伝えられた。
ここで正式にお請けの口上をのべて、三人は再び木母寺へ引っ返して来た。それぞれに身支度をするためである。なにしろ珍らしい御用であるので、組頭も心配していろいろの世話をやいた。朋輩たちも寄りあつまって手
前へ
次へ
全13ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング