至っていよいよ有名になったのである。慶長五年に池田輝政がここに入って天主閣を作ったので、それがまた姫路の天主として有名なものになった。しかし徳川時代になってからも、ここの城主はたびたび代っている。池田の次に本多忠政、次は松平忠明、次は松平直基、次は松平忠次、次は榊原政房、次は松平直矩、次は本多政武、次は榊原政邦、次は松平明矩という順序で約百四十年のあいだに城主が十代も代っている。平均すると一代わずかに十四年ということになるわけで、こんなに城主の交代するところは珍しい。それはこの姫路という土地が中国の要鎮であるためでもあるが、城主が余りにたびたび変更するということも、小坂部伝説にはよほどの影響をあたえているらしい。
 それについて、こんなことが伝えられている。この城の持ち主が代替りになるたびに、かならず一度ずつは彼《か》の小坂部が姿をあらわして、新しい城主にむかってここは誰の物であるかと訊く。こっちもそれを心得ていて、ここはお前様のものでござりますと答えればよいが、間違った返事をすると必ず何かの祟りが[#「祟りが」は底本では「崇りが」]ある。現にある城主が庭をあるいていると、見馴れない美
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