は土地全体を姫山と称していたのを、慶長以後には土地の名を姫路といい、城の所在地のみを姫山ということになったのである――に隠れて世を終わったので、それを祭って小刑部明神と崇めたというのであるが、それには又種々の反対説があって、播磨鑑には小刑部明神は女神にあらずと云っている。播磨名所巡覧図会には「正一位小刑部大明神は姫路城内の本丸に鎮座、祭神二座、深秘の神とす。」とある。それらの考証は藤沢衛彦氏の日本伝説播磨の巻に詳しいから、今ここに多くを云わないが、まだ別に刑部姫《おさかべひめ》は高師直のむすめだと云う説もあって、わたしはそれによって一篇の長編小説をかいたこともある。しかし、小坂部――小刑部とも刑部ともいう――明神の本体が女神であるか無いかという議論以外に、その正体は年ふる狐であるという説が一般に信じられているらしい。なぜそんな伝説が拡まったのか、その由来は勿論わからない。
一体、姫路の城の起源は歴史の上で判っていない。赤松が初めて築いたものか、赤松以前から存在したものか判然《はっきり》しないのであるが、とにかくに赤松以来その名を世に知られ、殊に羽柴筑前守秀吉が中国攻めの根拠地となるに
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