。」と、わたしは表をみながら訊いた。
「むむ。それを言い忘れたが、なんでも春のなかばで、そこらの桃の花が真っ赤に咲いて、おいおい踏青《つみくさ》が始まろうという頃だった。そうだ、シナ人の詩にあるじゃないか――孤憤何関児女事《こふんなんぞかんせんじじょのこと》、踏青争上岳王墳《とうせいあらそってのぼるがくおうのふん》――丁度まあその頃で、場面は西湖、時候は春で月明の夜というのだから、美人と共に逍遥するにはおあつらえむきさ。しかしその美人に殺されたらしいのだから怖ろしい。勿論、殺したという証拠があるわけでもなし、死体に傷のあともないのだから、確かなことはいえた筈ではないのだが、誰がいうともなしに李香はその女に殺されたのだという噂が立った。いや、まだおかしいのは、その女は生きた人間ではない。蘇小小の霊だというのだ。」
「また幽霊か。」
「シナの話には幽霊は付き物だから仕方がない。」と、K君は平気で答えた。「蘇小小というのは君も知っているだろうが、唐代で有名な美妓で、蘇小小といえば芸妓などの代名詞にもなっているくらいだ。その墓は西湖における名所のひとつになっていて、古来の詩人の題詠も頗る多い。
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