を失ったように感じていた私に取って、自分はやはり何物かを失わずにいたということを心強く感じさせたからである。以上の三種が自分の作として、得意の物であるか不得意の物であるかを考えている暇はない。わたしは焼跡の灰の中から自分の財を拾い出したように感じたのであった。
「お正月から芝居がはじまる……。左団次が出る……」と、そこらに群がっている人の口々から、一種の待つある如きさざめきが伝えられている。
わたしは愉快にそれを聴いた。わたしもそれを待っているのである。少年時代のむかしに復《かえ》って、春を待つという若やいだ心がわたしの胸に浮き立った。幸か不幸か、これも震災の賜物《たまもの》である。
「いや、まだほかにもある。」
こう気が注《つ》いて、わたしは劇場の前を離れた。横町はまだ滑りそうに凍っているその細い路を、わたしの下駄はかちかち[#「かちかち」に傍点]と蹈んで急いだ。家へ帰ると、すぐに書斎の戸棚から古いバスケットを取出した。
震災の当時、蔵書も原稿もみな焼かれてしまったのであるが、それでもいよいよ立退《たちの》くという間際に、書斎の戸棚の片隅に押込んである雑誌や新聞の切抜きを手あた
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