前景気は甚だ盛で、麻布十番の繁昌にまた一層の光彩を添えた観がある。どの人も浮かれたような心持で、劇場の前に群れ集まって来て、なにを見るともなしにたたずんでいるのである。
私もその一人であるが、浮かれたような心持は他の人々に倍していることを自覚していた。明治座が開場のことも、左団次一座が出演のことも、またその上演の番組のことも、わたしはとうから承知しているのではあるが、今やこの小さい新装の劇場の前に立った時に、復興とか復活とかいうような、新しく勇ましい心持が胸一杯に漲《みなぎ》るのを覚えた。
わたしの脚本が舞台に上演されたのは、東京だけでも已《すで》に百数十回に上っているのと、もう一つには私自身の性格の然らしむる所とで、わたしは従来自分の作物の上演ということに就てはあまりに敏感でない方である。勿論、不愉快なことではないが、またさのみに愉快とも感じていないのであった。それが今日にかぎって一種の亢奮《こうふん》を感じるように覚えるのは、単にその上演目録のうちに『鳥辺山心中』と、『信長記』と、『浪花の春雨』と、わたしの作物が三種までも加わっているというばかりでなく、震災のために自分の物一切
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