が》にそんなこともしませんが、その家来の若党や中間《ちゅうげん》のたぐい、殊に中間などの悪い奴は往々それを遣って自分たちの役得と心得ている。たとえば、駕籠に乗った場合に、駕籠のなかで無暗《むやみ》にからだを揺する。客にゆすられては担いでゆくものが難儀だから、駕籠屋がどうかお静かにねがいますと云っても、知らない顔をしてわざと揺する。云えば云うほど、ひどく揺する。駕籠屋も結局往生して、内所で幾らか掴ませることになる。ゆする[#「ゆする」に傍点]と云う詞《ことば》はこれから出たのか何うだか知りませんが、なにしろ斯ういう風にしてゆするのだから堪りません。それが又、この時代の習慣で、大抵の主人も見て見ぬ振をしていたようです。それに余りにやかましく云えば、おれの主人は野暮だとか判らず屋だとか云って、家来どもに見限られる。まことにむずかしい世の中でした。
今宮さんは若党ひとりと中間三人の上下五人で、荷かつぎの人足は宿々で雇うことにしていました。若党は勇作、中間は半蔵と勘次と源吉。主人の今宮さんは今年三十一で、これまで御奉公に不首尾もない。勿論、首尾のわるい者では大阪詰にはなりますまいが、先ずは一通
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