早く江戸へ帰って療治をしなければなるまいかとも思った。
「また来るといっても、めったに出られるものじゃあない、折角来たのだから、やっぱり鎌倉へ廻りましょうよ。」と、四郎兵衛は言った。
「でも、おまえの怪我はどうだえ。痛むだろう。」
「なに、大したこともありません。多寡《たか》が打傷《うちきず》ですから。」
「じゃあ、まあ、あしたになっての様子にしよう。なにしろお前は少し横になっていたらいいだろう。」
 宿の女中に枕を借りて、四郎兵衛を暫く寝かして置くことにした。平生は軽口で冗談などをいう義助も、唯ぼんやりと黙っていた。雨はだんだん強くなって、二階の縁側から見晴らす海も潮けむりに暗かった。
「あいにく降り出しまして、御退屈でございましょう。」と、宿の女中が縁側から顔を出した。
「お江戸の松沢さんと仰しゃる方がたずねてお出《い》でになりましたが、お通し申してよろしゅうございましょうか。」

     二

 やがてこの座敷へ通されて来た三十前後の町人風の男は、京橋の中橋《なかばし》広小路に同商売の菓子屋を営んでいる松沢という店の主人庄五郎であった。
「おや、お珍しいところで……。お前さんも
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