年の申口をかえて、更に再吟味をねがい出た。かれは去年、小間物屋の手代と突き合せ吟味のときに、一旦屈伏したにもかかわらず、更にその申口をかえて拷問をうけたのである。そうして、第五回の拷問前に再び屈伏したにもかかわらず、またもやその申口を変えようとするのである。しかも本人が押して再吟味を願い立てる以上、無理押し付けにそれを処分することも出来ないので、奉行所ではあくまでも強情な彼のために、かさねて裁判を開くことを余儀なくされたが、そういう厄介な罪人に対しては係り役人らの憐愍も同情もなかった。吉五郎は吟味の役人に対して、先度の御吟味があまりに手痛いので自分は心にもない申立をいたしたのであるが、小間物屋の一条は一切おぼえのないことで、それは同類の勝五郎の仕業に相違ないと訴えたが、役人たちは殆《ほとん》ど取合わなかった。
 かれはすぐに第二回の拷問を繰返すことになって、笞打のほかに石八枚を抱かされた。強情に彼はこれまでの経験があるので、七枚までは眼をとじて堪えていた。大抵のものは五枚以上積めば気をうしなうのである。七枚のうえに更に一枚を積まれたときに、吉五郎もさすがに顔の色が変って来て、総身の肌がことごとく青くなった。こうして一時(今の二時間)あまりもそのままにしておかれるうちに、かれは眠ったようにうっとりとなってしまったので、その日の拷問はそれで終った。それは四月九日のことで、つづいて十一日の第五回の拷問が行われた。それも笞打と石抱きとで、石はやはり八枚であった。石がだんだんに積まれて八枚になった時に、かれは気をうしなったようにみえたので、役人は注意してその顔色をうかがっていると、彼は眼を細くあけて役人の方をそっと見た。かれは仮死を粧《よそお》って拷問を中止させようとする横着物であることを役人たちはちらと看破して、決してその拷問をゆるめはしなかった。彼は二時あまりも石を抱かされていたが、遂に恐れ入らなかった。
 つづいて十三日に第六回の拷問を行われた。もうこうなると、役人と罪人の根くらべである。この時も笞打と石八枚で、吉五郎はやはり強情我慢を張り通した。九日から十三日までの五日間につづけて三回の拷問をうけながら、彼はちっとも屈しないのは、もしや口中に何かの薬を含んでいるのではないかと役人はその口を無理に開かせて、上下の歯のあいだを一々にあらためた。牢内の習慣で、拷問をうける罪人があるときは、牢名主その他の古顔の囚人どもが彼に対して色々の注意をあたえ、拷問に堪え得る工夫を教えて、たとい責め殺さるるまでも決して白状するなと激励するのである。そればかりでなく、あるいは口中に毒を含ませて遣《や》る。殊《こと》に梅干の肉は拷問のあいだに喉の渇きを助け、呼吸を補い、非常に有効であると伝えられているので、往々それを口にして白洲へ出るものがある。吉五郎もその疑いで口中の検査をうけたが、別にそれらしい形跡も発見されなかった。彼は引きつづく拷問でよほど疲労したらしくみえるので、それから一ヵ月ばかりのあいだは吟味を中止された。あまり頻繁に拷問をつづけると、彼を責め殺す虞があるからであった。
 五月十八日に彼は第八回の吟味をうけたが、勿論白状しそうもみえないので、またもや拷問にかけられた。今度も笞打と石抱きとであったが、石の数は一枚殖えて九枚となった。それでも彼はとうとう堪え通した。綿のように疲れきって牢屋に帰ってくると、名主や役附の者どもは彼の剛胆を褒《ほ》めそやして、総がかりで介抱してやった。気の弱い罪人は一回の拷問で問い落されるのが多い、大抵の強い者でも先ず五、六回が行き止りであるのに、吉五郎は已《すで》に八回までも堪え通したのであるから、牢内では立派な男として褒められた。
 奉行所では根気よくこの強情な罪人を調べなければならなかった。他の公事《くじ》が繁多のために、六月中は中止されて、七月一日からまたもや吉五郎の吟味をはじめた。係りの役人たちもあせってきたのであろう。かれは一日から八日までのあいだ殆ど隔日の拷問をうけた。前後八回で、やはり笞打と石九枚ずつであった。越えて二十七日には笞打と石七枚、それでも彼はちっとも屈しないので、八月十八日には更に手ひどい拷問を加えられた。この日は笞打なしで、単に石七枚だけであったが、その代りに昼四つ時(午前十時)から夕七つ(午後四時)まで重い石を置かれていた。このおそろしい根くらべにも打ち勝って、かれは無事に牢内へ戻って来て、他の囚人どもを驚かした。第一回以来、かれは前後十八回の拷問をうけながら遂に屈伏しないというのは、伝馬町の牢獄が開かれてから未曾有のことで、拷問に対して実に新しいレコードを作ったのであるから、かれは石川五右衛門の再来として牢内の人気を一身にあつめた。
 未決の囚人であるから、かれはいわゆる役附の待遇
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