がありました。ここの娘は弁天様の申し子であったそうですが、ちょうど十八の時に不忍《しのばず》の池に入って池の主の大蛇になったと言い伝えられています。それが明治の初め頃まで不忍の池に棲《す》んでいたそうですが、明治になってから印旛沼《いんばぬま》の方へ移ってしまったといいます。
化物屋敷、これはとても数えきれません。一町内に一軒くらいずつはあったようです。まずその一例を挙げると、こんなものです。
朝顔屋敷、牛込の中山という旗本の屋敷ですが、ここでは絶対に朝顔を忌《い》んでいました。朝顔の花はもちろん、朝顔の模様、または朝顔類似のものでも、決して屋敷の中へは入れなかったということです。
それがために庭掃除をする仲間《ちゅうげん》が三人いて、夏になると毎日、庭の草を抜き捨てるのに忙しかったそうです。それは屋敷の中に朝顔の生えるのを恐れるからで、これほどに朝顔を忌む理由というのは、なんでも祖先のある人が妾《てかけ》を切った時に、妾の着ていた着物の模様に朝顔がついていたそうで、その後、この屋敷の中で朝顔を見ると、火事に遭うとか、病人がでるとか、お役御免になるとかで、きっと不祥のことが続いた
前へ
次へ
全12ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング