んでしまったことを、いつまで気にかけているものじゃあない。物事は逆《さか》さまというから、却ってめでたいことが来るかも知れない。刃物で斬られた夢を見れば、金が身に入るといって祝うじゃあないか。」
由兵衛はそれを本気で言ったのか、あるいは一時の気休めに言ったのか知らないが、不思議にもそれが適中して、果たして目出たいことが来た。それから十日《とうか》も経たないうちに、今まで縁遠かったお妻に対して結構な縁談を申込まれたのである。
淀橋の柏木成子町に井戸屋という古い店がある。井戸屋といっても井戸掘りではなく、酒屋である。先祖は小田原北条の浪人井戸なにがしで、ここに二百四、五十年を経る旧家と誇っているだけに、店も大きく、商売も手広く、ほかに広大の土地や田畑も所有して、淀橋界隈では一、二を争う大身代《おおしんだい》と謳《うた》われている。その井戸屋へ嫁入りの相談を突然に申込まれて、近江屋でも少しく意外に思ったくらいであった。しかもその媒妁《ばいしゃく》に立ったのは、お峰の伯父にあたる四谷大木戸前の万屋《よろずや》という酒屋の亭主で、世間にあり触れた不誠意の媒妁口ではないと思われるので、近江屋の
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