た。悪阻《つわり》の軽かったかれは、ほとんど臨月の姙婦とは見えないほどにすこやかであった。その顔色も艶々《つやつや》しかった。
「どうだえ、もう生まれそうかえ。」と、お峰はまず訊いた。
「お医者も、取揚げのお婆さんも、今月の末頃だろうと言っているのですけれど、わたしはきっとあした頃だろうと思います。」と、お妻は信ずるところがあるように言った。
「だって、お医者も取揚げ婆さんもそう言うのに、おまえ一人がどうして明日と決めているの。」
「ええ、あしたです。きっとあしたの日暮れ方です。」
「あしたの日暮れ方……。」
「おっ母さんはおととしの事を忘れましたか。あしたは九月の二十四日ですよ。」
九月二十四日――横浜見物の帰り道に、二挺の駕籠が鈴ヶ森を通りかかったのは、その日の暮れ方であった。それを言い出されて、お峰は忌《いや》な心持になった。
「けれども、おっ母さん安心していて下さい。男の児にしろ、女の児にしろ、わたしの生んだ児はわたしがきっと守ります。」と、お妻はいよいよ自信がありそうに言った。
姙婦を相手にかれこれ言い合うのもよくないと思ったので、お峰は黙って聞いていた。しかし何だか気が
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