やかならぬ形勢を見せて来たが、近江屋一家には別条なく、井戸屋にもなんの障りもなく、ここに一年の月日を送って、その年の暮れにお妻は懐姙した。
本来ならば、めでたいと祝うのが当然でありながら、それを聞いて近江屋の夫婦は一種の不安に襲われた。不吉の予感が彼等のこころを暗くした。お峰は世間の母親のように、初孫《ういまご》の顔を見るのを楽しみに安閑とその日を送ってはいられなかった。かれは日ごろ信心する神社や仏寺に参詣して、娘の無事出産を祈るのは勿論、まだ見ぬ孫の息災延命《そくさいえんめい》をひたすらに願った。
明くれば文久二年、その九月はお妻の臨月にあたるので、お峰は神仏に日参をはじめた。由兵衛も釣り込まれて神まいりを始めた。井戸屋の主人も神仏の信心を怠らず、わざわざ下総《しもうさ》の成田山に参詣して護摩《ごま》を焚いてもらった。ありがたい守符《まもりふだ》のたぐいが神棚や仏壇に積み重ねられた。
九月二十三日に淀橋からお妻の使が来て、おっ母さんにちょっと会いたいから直ぐにお出《い》でくださいというので、もしや産気でも付いたのかと、お峰はすぐに駕籠を飛ばせてゆくと、お妻の様子は常に変らなかっ
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