見る悪侍をそのままに、体《てい》のいい押借やゆすりを働くようになった。
 鯉の一件は嘉永六年の三月三日、その年の六月二十三日には例のペルリの黒船が伊豆の下田へ乗り込んで来るという騒ぎで、世の中は急にそうぞうしくなる。それから攘夷論が沸騰して浪士らが横行する。その攘夷論者には、勿論まじめの人達もあったが、多くの中には攘夷の名をかりて悪事を働く者もある。
 小ッ旗本や安《やす》御家人の次三男にも、そんなのがまじっていた。弥三郎もその一人で、二、三人の悪仲間と共謀して、黒の覆面に大小という拵え、金のありそうな町人の家へ押込んで、攘夷の軍用金を貸せという。嘘だか本当だか判らないが、忌《いや》といえば抜身を突きつけて脅迫するのだから仕方がない。
 こういう荒稼ぎで、弥三郎は文字友と一緒にうまい酒を飲んでいたが、そういうことは長くつづかない。町方の耳にもはいって、だんだんに自分の身のまわりが危くなって来た。浅草の広小路に武蔵屋という玩具《おもちゃ》屋がある。それが文字友の叔父にあたるので、女から頼んで弥三郎をその二階に隠まってもらうことにした。叔父は大抵のことを知っていながら、どういう料簡か、素直
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