主人ばかりでなく、店の者も鯉を食わなかった。実際あの大きい鯉の傷ついた姿を見せられては、すべての鯉を食う気にはなれなくなったと、梶田さんは少しく顔をしかめて話した。
「そこで、その弥三郎と文字友はどうしました。」と、私たちは訊いた。
「いや、それにも話がある。」と、老人は話しつづけた。
桃井弥三郎は測らずも一両の金を握って大喜び、これも師匠のお蔭だというので、すぐに二人づれで近所の小料理屋へ行って一杯飲むことになった。文字友は前にもいう通り、女の癖に大酒飲みだから、いい心持に小半日も飲んでいるうちに、酔ったまぎれか、それとも前から思召《おぼしめし》があったのか、ここで二人が妙な関係になってしまった。つまりは鯉が取持つ縁かいなという次第。元来、この弥三郎は道楽者の上に、その後はいよいよ道楽が烈しくなって、結局屋敷を勘当の身の上、文字友の家へころげ込んで長火鉢の前に坐り込むことになったが、二人が毎日飲んでいては師匠の稼ぎだけではやりきれない。そんな男が這入り込んで来たので、いい弟子はだんだん寄付かなくなって、内証は苦しくなるばかり、そうなると、人間は悪くなるよりほかはない。弥三郎は芝居で
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