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(彦三郎は無埋に振切つて行かうとするを、六郎兵衞は留める。おかんはうろ/\しながら權三を手招ぎし、なんとかしろと云ふ。權三ももう堪らなくなつて進み出で、彦三郎の前に立塞《たちふさ》がる。)
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權三 まあ、おまへさん。待ちなせえ。
彦三郎 えゝ、どなたも邪魔をして下さるな。
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(彦三郎は突きのけて行かうとするを、權三は抱きとめる。)
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權三 邪魔をするわけぢやあねえ。おれが好い智慧を貸してやるのだ。やい、やい、助十。見てゐることはねえ。一緒に留めてくれ、留めてくれ。
おかん (縁に出る。)助さんも早く何とかおしなねえ。
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(助十も決心して起つ。)
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助十 (彦三郎に。)まあ、待ちなせえ。待ちなせえ。まつたくおれ達が好い智慧を貸してやるのだ。まあ、まあ、落ち着いて云ふことを聞くがいゝぜ。
權三 まあ、おとなしくしろ、おとなしくしろ。
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(權三と助十は無理に彦三郎を元の縁さきに押戻す。)
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六郎 井戸がへで汗になつたところへ、また汗をかゝされた。やれ、やれ。(汗を拭く。)そこでお前達はほんたうに好い智慧があるのか。
權三 さう改まつて聞かれると少し困るが……。おい、助十。おめえから云へ。
助十 いや、おれはいけねえ。おれは不斷から口不調法だからな。
權三 うそをつけ。人一倍大きな聲で呶鳴りやあがる癖に……。
助十 えゝ、手前こそ矢鱈《やたら》に無駄口をきくぢやあねえか。
六郎 これ、これ、そんなことを云つてゐては果てしがない。おい、權三。先づおまへから口をきけ。
權三 どうしてもわつしが口切りかえ。やれ、やれ。
六郎 何がやれ/\だ。おれが名指しでお前に聞くのだから、さあ、はつきりと云へ。
權三 仕樣がねえな。(頭をおさへる。)ぢやあ、まあ聽いておくんなせえ。實はね、去年の十一月の末のことでごぜえました。(助十に。)おい、あれは幾日だつけな。
助十 さあ、おれもよくは覺えてゐねえが、なんでも二の酉《とり》の前の晩あたりぢやなかつたかな。
權三 違えねえ、二の酉の前の晩だ。その晩の九つ過ぎでもありましたらうか、この助十とわつしとが遲い仕事から歸つて來まして、馬喰町の横町へ差しかゝると、頬かむりをした一人の野郎が天水桶で何か洗つてゐるやうでしたから、何をしてゐるのかと提灯の火で透かしてみると、そいつは着物の袖を洗つてゐるらしいのです。
六郎 むゝ。それから何うした。
權三 (助十をみかへる。)おい、おれにばかり云はせてゐねえで、手前も些《ちつ》としやべれよ。かうなりあ何《ど》うでお互《たげ》えに係り合だ。
六郎 では、助十。そのあとを早く云へ。
助十 もし、大屋さん。うつかりした事をしやべつて、若しそれが間違ひだつた時には、どういふことになりませうね。
六郎 それは事にもよるな。その事によつて重い罪にもなれぱ、輕い罪にもなる。
助十 人殺しなんぞは重い方でせうね、
六郎 それは勿論のことだ。
助十 いけねえ、いけねえ。それだからおれは忌《いや》だといふのだ。權三。手前は勝手に何でもしやべれ。おらあ知らねえ、知らねえ。
權三 知らねえことがあるものか。おれと相棒をかついでゐたんぢやあねえか。
おかん (權三に。)もし、お前さん。そんな人にかまはないで、知つてゐることがあるなら早く云つておしまひなさいよ。あたしも何だか聽きたくなつて來たからさ。
彦三郎 (すり寄る。)どうぞ早く話して下さい。
權三 たうとうおれが人身御供《ひとみごくう》にあげられてしまつたか。ぢやあ、まあ話しませう。今もいふ通り、天水桶で袖を洗つてゐるだけならば、別に不思議と云ふほどのことでもねえが、そいつが光るものを持つてゐる。
六郎 光るものを持つてゐた……。それから何うした。
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(人々はすり寄つて聽く。)
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權三 その光るものを水で洗つてゐたんですよ。
六郎 天水桶で袖を洗ひ、何か光るものを洗つてゐたのだな。その光る物といふのは刃物らしかつたか。
權三 どうもさうらしいやうでした。それでもその時はたゞ變な奴だと思つたばかりで通り過ぎてしまつたのですが、明る朝になつて聞いてみると、その晩馬喰町の米屋といふ旅籠屋《はたごや》の隱居所で、六十幾つになる隱居婆さんが殺されて、門跡樣《もんせきさま》へ納めるとかいふ百兩の金を取られたさうで、わつしもびつくりしましたよ。
六郎 むゝ。(かんがへる。)して、その男はどんな風體《ふうてい》で、年頃や人相は判らなかつたか。
權三 さあ、そこだ。(助十に。)おい、いゝかえ。思ひ切つて云つてしまふぜ。
助十 まあ、待つてくれ。もし、大屋さん。これから權の野郎が何を云ひ出すか知りませんが、わつしに係り合を付けねえで下さいよ。わつしはなんにも知らねえんだから……。
權三 いや、さうは行かねえ。おれと相棒でゐる以上は、どうしたつて手前もかゝり合ひだぞ。
助十 だつて、おれはなんにも云はねえ。
權三 云つても云はねえでも同じことだ。
おかん まあ、そんなことは何うでもいゝから、肝腎のところを早くお云ひなさいよ。じれつたい人だねえ。
六郎 まつたくおれも焦《じれ》つたい。さあ、早く云へ、早く云へ。
彦三郎 さあ、早く聞かしてください。(詰めよる。)
權三 寄つて集《たか》つておればかり虐《いぢ》めちやあ困るな、助の野郎め、狡い奴だ。おぼえてゐろ。
彦三郎 もし、早く云つてください。早く……早く……。
權三 云ふよ、云ふよ。かうなつたら何でも云つて聞かせるよ。その男は……年頃は三十四五で、職人のやうな風體《ふうてい》で……。
彦三郎 職人のやうな風體でござりましたか。
助十 (權三に。)おい、おい。もうその位にして置くがいゝぜ。
六郎 やかましい、默つてゐろ。(權三に。)まだそのほかに何か目じるしは無かつたか。
權三 さあ。(躊躇する。)
六郎 (嚇《おど》すやうに。)これ、權三。なぜおれの前で隱し立てをする。正直に云はないとお前の爲にならないぞ。
おかん お前さん、なぜ隱してゐるんだねえ。をかしいぢやあないか。
權三 えゝ、もう自棄《やけ》だ。みんな云つてしまへ。(少し聲をひそめて。)夜目ではあり、そいつは頬被《ほゝかむ》りをしてゐたので、確なことは云へねえが、どうもそれが近所の奴らしいので……。
六郎 むゝ、近所の奴……。誰だ、誰だ。
權三 (思ひ切つて。)豐島町の裏にゐる左官屋の勘太郎によく似てゐたんですよ。
おかん まあ。あの人が……。
六郎 左官屋の勘太郎……。あいつによく似てゐたのか。これ、助十。どうでお前もかゝり合だから、正直に云はなければならないぞ。まつたく其奴は勘太郎に似てゐたのか。
助十 かうなりやあ俺ももう自棄《やけ》だ。(大きな聲で。)そいつは豐島町の勘太郎、左官屋の勘太郎、たしかにあの勘太郎に相違ねえのだ。
六郎 これ、大きな聲をするなよ。
彦三郎 あゝ、ありがたい、有難い。お二人さんはわたくしに取つて神樣と云はうか、佛樣と申さうか。もし、もし、この通りでござります。(手をあはせて權三と助十を拜む。)
おかん それにしても、お前さん達の氣が知れないぢやあないか。それほど判つてゐるならば、なぜ早くそのことを云ひ出して、彦兵衞さんの無實の災難を救つて上げなかつたんだらうねえ。
權三 そのときに氣がつけば格別だが、あとになつちやあ無證據だ。うつかりしたことが云はれるものか。どんな係り合になるかも知れねえ。
六郎 それで二人ともに默つてゐたのか。横着者にも似合はない、氣の小さい奴等だな。
おかん 彦兵衞さんに疑ひのかゝつたのは、どういふわけだかよくは知らないけれど、不斷から正直者のあの人がお繩にかゝつて連れて行かれるのを、一つ長屋内で見てゐながら、今まで默つてゐるといふことがあるものかね。お前さん達は随分不人情だよ。
六郎 まつたく女房のいふ通りだ。せめておれだけにも内々で話して置いおくれゝば、なんとか仕樣のあつたものを……。(叱るやうに。)それほどの事を知つてゐながら、今まで口をふいて默つてゐるとは何のことだ。つまり貴樣達が彦兵衞さんを見殺しにしたやうなものだ。これ、彦三郎さん。お前さんのお父さんのかたきはこの權三と助十だ。なんの、禮をいふことがあるものか。わたしが證人になつてやるから、こゝで立派にかたき討をしなさい。
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(權三と助十はびつくりする。)
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權三 と、とんでもねえ。なんでおれ達が仇なものか。
助十 かたきと云ふのは勘太郎だ。
權三 あの勘太郎だ。
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(云ひながら二人は逃げかゝる。)
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六郎 待て、待て。貴樣たちが逃げたからと云つて濟むわけのものではない。かたき討は免《ゆる》してやる代りに、その罪ほろぼしに彦三郎さんの味方をするか。
權三 (助十と顏を見あはせる。)あい、あい。きつと味方を致します。
六郎 よし、よし。それならば仕樣がある。(上のかたに向ひて。)おい、おい。誰か來てくれ。早く來てくれ。
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(上のかたより助八を先に、雲哲と願哲出づ。)
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六郎 おゝ、助八。おまへの家に麻繩のやうなものは三本ほどないか。
助八 さあ、三本はどうだかな、
おかん 内にも一本ぐらゐはありましたよ。
助八 なにしろ探して來ませう。
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(助八は我家に入る。おかんも奧に入る。)
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雲哲 用はもうそれだけかね。
六郎 いや、おまへ達もそこにゐてくれ。まだ外にも用があるのだ。
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(おかんは奧より麻繩一本持ちて出づ。)
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おかん これで間に合ひますかえ。
六郎 よし、よし。(繩をうけ取る。)
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(助八も奧より麻繩二本を持ちて出づ。)
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助八 大屋さん。これでいゝかね。
六郎 むゝ、これで丁度三本揃つた。
助八 そこで、これをどうしなさるのだ。
六郎 人間三人を縛《しば》るのだ。
一同 え。
權三 三人といふのは、誰と誰とを縛るんですね。
六郎 先づ貴樣を縛る。
權三 え。
六郎 それから助十を縛る。
助十 え。
六郎 それから彦三郎さんを縛る。
彦三郎 わたくしもお繩にかゝるのでござりますか。
六郎 この三人を數珠《じゆず》つなぎにして、南の御奉行所へ牽《ひ》いて行くのだ。
助八 いけねえ、いけねえ。あとの二人はどんな惡いことをしたか知らねえが、おれの兄貴に限つちやあ繩をかけられるやうな覺えはねえ筈だ。ふだんから兄弟喧嘩こそしてゐるが、おれに取つちやあ唯つた一人の兄貴だ。いはれも無しに繩附きにされて堪《たま》るものか。なんでおれの兄貴を縛るのだ。その譯をいへ。譯をいへ。
六郎 さうむき[#「むき」に傍点]になつて怒るなよ。これには譯のあることだ。こゝに
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