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彦三郎 (堪へかねて。)では、どうしても出來ぬことだと仰《おつ》しやるのでござりますか。
六郎 さあ、出來ないとも限らないが、なにしろこいつは大仕事だ。わたしもこの年になるまで家主を勤めてゐるが、こんなことに出逢つたのは初めてだからな。
彦三郎 (決心して。)では、もうお頼み申しますまい。わたくしは自分の思ひ通りにいたします。(起ちかゝる。)
六郎 (彦三郎の袖を捉へる。)まあ、待ちなさい。お前さんは眼の色を變へてどうする積りだ。
彦三郎 これから御奉行所へ駈込みます。
六郎 御奉行所へかけ込む……。それはいけない。駈込み訴へは御法度《ごはつと》だ。
彦三郎 それはわたくしも存じて居りますが、もうかうなつたら致方がござりません。どんなお咎《とが》めを受けるのも覺悟の上で、駈込み訴へをいたします。どうぞ留めずに遣《や》つて下さい。(振切つて行かうとする。)
六郎 どうして無暗に遣られるものか。飛んでもないことだ。いくら年が若いと云つて急《せ》いてはいけない。まあ、待ちなさい。待ちなさい。
彦三郎 いや、放して下さい。放してください。
六郎 いけない、いけない。

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