つきから奧で聞いてゐりやあ、手前たちは兄弟揃つて、よくも口から出放題の惡體《あくたい》もくたい[#「もくたい」に傍点]を列《なら》べ立てやあがつたな。なるほど俺のかゝあは吉原の河岸見世にゐた女で、飛んだ惚《のろ》けをいふやうだが、おたがひに好き合つて夫婦になつたのだ。それがなんで洟つ垂らしだ。惚れた女とは夫婦になるなといふ奉行所のお觸れでも出たのか。ざまあ見やがれ。
おかん ほんたうに近所迷惑とはこつちで云ふことさ。よるも晝も兄弟喧嘩を商賣のやうにしてゐて、その仲裁に行くのはいつでもあたしの役ぢやあないか。
助八 えゝ、手前たちこそ毎日毎晩、犬も食はねえ夫婦喧嘩ばかりしてゐやあがつて、その留男《とめをとこ》の役はいつでも誰が勤めると思つてゐるのだ。
助十 まあ、まあ、だまつてゐろ。こんなすべた[#「すべた」に傍点]女郎を相手にしたつて始まらねえ。やい、權三。(縁に腰をかける。)手前も海驢《あしか》の生れ變りぢやああるめえ。なんで一日寢そべつてゐるのだ。長屋中が惣出《そうで》の井戸がへを知らねえか。寢ぼけた面《つら》を早く洗つて、みんなと一緒に綱を引きに出て來い。ふだんから相棒のよしみに、長屋の義理や附合ひといふものを教へてやるのだ。ありがたいと思つて禮をいへ。
權三 それだからおれの名代《みやうだい》に、嚊をこの通り出してあるぢやあねえか。一軒の家から一人づつ出りやあ澤山だ。
助十 女なんぞは頭數ばかりで役にやあ立たねえ。おれの家ぢやあ斯うして大の男が兄弟揃つて出てゐるのだ。
權三 そりやあ手前たちの物ずきで勝手に騷いでゐるのよ。だれも頼んだわけぢやあねえ。折角よく寢てゐるところを、無暗にがあ/\呶鳴りやあがつて、たうとう起してしまやあがつた。(眼をこする。)おい、おかん。茶を一杯くれ。
おかん あい、あい。
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(おかんは茶を汲んでやれぱ、權三は飮む、この時、上のかたにて大勢の聲きこゆ。)
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大勢 さあ、さあ、引いた、引いた。
助八 あにい、又始まつたぜ。早く行かう。
助十 むゝ、こんな奴等にかゝり合つてゐると、日が暮れらあ。
大勢 引いた、引いた。
助十 おうい。待つてくれ。
助八 待つてくれ。
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(助十と助八は鉢卷をしめ直して、急いで上のかたへ行く。)
おかん ほんたうに憎らしい奴だねえ。あたしももう行くまいかしら。
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權三 かまふものか。打つちやつて置け。(團扇《うちは》を取る。)このごろは晝間でも藪つ蚊が出て來やあがる。
おかん 暑い暑いと云つても、もう秋だとみえて、縞《しま》のお袴《はかま》をはいた蚊がだん/\に大きくなつて來たねえ。
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(おかんも澁團扇をとつて權三を煽《あふ》いでやる。)
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權三 おや、おや、手前けふは忌《いや》に亭主孝行だな。今の話でむかしの事を思ひ出したか。
おかん なに、あいつ等へ面當《つらあ》てさ。
權三 面當てでなけりやあ大事にしてくれねえのか。心ぼそいことだな。
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(上のかたにて又もや大勢の聲きこゆ。)
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大勢 引いた、引いた。エンヤラサア。
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(上のかたより以前の雲哲と願哲が先に立ちて井戸換への綱を引き、つゞいて長屋の男二人と子供一人、その次に助十、いづれも綱をひいて出づ。又そのあとから長屋の女房と娘、つゞいて猿まはし與助は猿を背負ひ、その次に助八、長屋の男、子供など同じ綱をひいて出づ。井戸端にては水をあける音。一同は又引返して上のかたに入る。)
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助十 (行きながら權三を見かへる。)やい、この野郎。早く出て來ねえか。
權三 勝手にしやがれ。
助十 なんだ。(寄らうとして、綱にひかれてよろ/\となる。)えゝ、さう無暗に引いちやあいけねえ。やい、權三、手前はどうしても出て來ねえのか。えゝ、さう引いちやあいけねえと云ふのに……。
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(助十は綱に引かれて、よろけながら上のかたへ引返して入る。與助と助八はあとに殘る。)
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助八 (これも行きながら權三夫婦を見て。)やい、やい、夫婦ながら唯見てゐること
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