に合はねえ、そいつをこゝへ追つ放して、片っ端から引つ掻かして遣るのだ。
おかん (おどろく。)あれ、馬鹿なことをお云ひでないよ。呆《あき》れた人だねえ。
雲哲 惡巫山戲《わるふざけ》はいけない、いけない。(起ちあがる。)
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(助八は猿を取らうとする。與助は遣るまいとする。この爭ひのあひだに助八は又引つかゝれる。)
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助八 あ、こん畜生め、又遣りやあがつたな。もういよ/\料簡《れうけん》がならねえ。うぬ、生膽《いきぎも》を取った上で、兩國《りやうごく》のもゝんじい[#「もゝんじい」に傍点]屋へ賣飛ばすからさう思へ。
與助 えゝ、人の商賣物をどうするのだ。
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(助八と與助は爭つてゐるところへ、上のかたより助八の兄助十、三十歳前後、これも鉢卷、刺青のある肌ぬぎ、尻端折《しりはしよ》りの跣足にて出づ。)
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助十 やい、やい。なにを騷いでゐるのだ。煙草休みも好い加減にしろ。いつまでもこんな泥仕事をしちやあゐられねえ。日の暮れねえうちに早く濟して仕舞はなけりやあならねえのだ。みんなも精出して遣つてくれ。大屋さんに叱られるぞ。
與助 大屋さんに叱られては大變だ。さあ、行きませう。
雲哲 さうだ、さうだ。
願哲 やれ、やれ、又一と汗かくかな、
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(與助と雲哲、願哲は上のかたに去る。)
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助十 (おかんに。)おい、かみさん。おめえの宿六《やどろく》はどうしたね。
おかん 奧に寢てゐますよ。
助十 冗談ぢやあねえ。一年に一度の井戸がへだから、長屋中の者がみんな商賣を休んで、かうして泥だらけになつて働いてゐるんぢやねえか。その最中に自分ひとり悠々《いう/\》緩々《くわん/\》と寢そべつてゐる奴があるものか。あんまりお長屋の義理を知らねえ狸野郎の横着野郎《わうちやくやろう》だ。ぬす人のひる寢も好加減にしろと云って、早く引摺《ひきず》り起して來い。
おかん (むつとして。)何もそんなに呶鳴《どな》り散らさなくつてもいゝぢやありませんか。亭主の代りにわたしが出てゐりやあお長屋の義理は濟んでゐますよ。
助十 えゝ、おめえのやうな曳摺《ひきず》り嚊《かゝあ》がによろによろ[#「によろによろ」に傍点]してゐたつて何の役に立つものか。よし原の煤掃《すゝは》きとは譯が違はあ。早く亭主をひき摺り出せといふのに……。
助八 今までおれも氣が注《つ》かなかつたが、こゝの權三はまだ出て來ねえのか。なるほど盜人のひる寢にも程があらあ。(おかんに。)さあ、早く連れて來ねえよ。
おかん おまへさん達は人聞きが惡い。二口目にはぬす人のひる寢なんぞと、大きな聲で云つてお呉《く》んなさるなよ。内の人は夜の商賣が主だから、晝間寢てゐるのさ。それに不思議があるものかね。
助十 それを云へば、おれだつて同じ商賣で片棒をかついでゐるのぢやあねえか。そのおれが斯うして働いてゐるのに、相棒の權三が寢てゐるといふ法があるものか。
おかん 相棒と云つても、内の人は先棒だよ。ちつとは遠慮をするものさ。
助十 先棒でも後棒でも、斯ういふときに遠慮が出來るものか。
助八 先棒を嵩《かさ》にきて、乙《おつ》う大哥風《あにいかぜ》を吹かすなら、おめえの亭主なんぞは頼まねえ。これからは兄貴とおれとが相棒で稼ぎに出るばかりだ。
おかん 兄弟が相棒で御神輿《おみこし》でもかつぎに出るのかえ。(土間を見返りてあざ笑ふ。)肝腎《かんじん》のかつぐ物があるかよ。
助十 (すこし詰まつて。)なに、駕籠なんぞは何處からでも拾つて來る。なあ、八。
助八 むゝ、大川へ行つてみろ。そんな駕籠なんぞは上《あ》げ汐《しほ》で幾らも流れて來らあ。
おかん 下駄の古いのと一緒になるものかね。ばか/\しい。詰らない無駄口をおききでないよ。
助十 手前の方がよつぽど無駄口を利《き》いてゐやあがる。河岸の切見世《きりみせ》でぺちやくちや[#「ぺちやくちや」に傍点]囀《さへづ》つてゐた癖がぬけねえので、近所となりは大迷惑だ。おなじ年明《ねんあ》きを引摺り込むにしても、もう少し眞人間らしいのを連れて來ればいゝのに、權三の奴めも見かけによらねえ洟《はな》つ垂《た》らし野郎だ。
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(奧の障子をあけて權三、これも三十歳前後の刺青のある男、浴衣の片褄を取りながら出づ。)
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權三 やい、やい。さ
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