は一つの不思議がある。時どきに二階の梯子の下に人の姿がぼんやりと見える。だんだん考えてみると、それが一年に一度、しかも旧暦の八月十五夜に限られていて、当夜が雨か曇りかの場合には姿をみせない。当夜が明月であると、きっと出てくる。どこかの隙間から月のひかりが差込んで、何かの影が浮いてみえるのかとも思ったが、ほかの月夜の晩にはかつてそんなことがない、かならず八月の十五夜に限られているのも不思議だ。人の形ははっきり判らないが、どうも男であるらしい。別にどうするというでもなく、ただぼんやりと突っ立っているだけのことだから、こっちの度胸さえすわっていれば、まず差したる害もないわけだ。
 この主人もいくらか度胸のすわった人であったらしい。それにもう一つの幸いは、その怪しいものは夜半《よなか》に出て、明け方には消える。ことに一年にたった一度のことであるので、細君をはじめ家内の人たちは誰もそれを知らないらしい。あるいは自分の眼にだけ映って、ほかの者には見えないのかも知れないと思ったが、いずれにしても、迂濶《うかつ》なことをしゃべって家内のものを騒がすのもよくない。そんな噂が世間にきこえると、自然商売の障
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