は旧暦の七月二十六夜だ。話には聞いているが、まだ一度も拝みに出たことはないので、自分も商売柄、二十六夜|待《まち》というのはどんなものか、なにかの参考のために見て置くのもよかろうと思ったので、涼みがてらに宵から出かけた。二十六夜の月の出るのは夜半《よなか》にきまっているが、彼と同じような涼みがてらの人がたくさん出るので、どこの高台も宵から賑わっていた。
 彼はまず湯島天神の境内へ出かけて行くと、そこにも男や女や大勢の人が混みあっていた。その中には老人や子供も随分まじっていた。今とちがって、明治の初年には江戸時代の名残りをとどめて、二十六夜待などに出かける人たちがなかなか多かったらしい。彼もその群れにまじってぶらぶらしているうちに、ふと或るものを見付けてまたぞっとした。その人ごみのなかに、昼間下谷の空家で見た婆さんらしい女が立っているのだ。広い世間におなじような婆さんはいくらもある。ばあさんの顔などというものは大抵似ているものだ。まして昼間見たのはその横顔だけで、どんな顔をしているのか確かに見届けた訳でもないのだが、どうもこのばあさんがそれに似ているらしく思われてならない。幾たびか水をく
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