十年という長い間の伝統があって、いろいろ工夫を積んだ結果、今日のようなものになっているのですから、平凡なようでも無事な型が出来ている。変った舞台面は結構だけれどもあまりむやみに破壊してかかると、何かに差支《さしつかえ》を生じて来る。御承知の通り、舞台は正面からばかり見るのじゃありませんから、その辺も考えなければならず、殊《こと》に近頃のように何階も高い席が出来て、上から見下されることになると、それだけでも大分むずかしいわけです。
だから芝居のやりいいようにさえすればいいようなものですが、舞台装置をやる人の立場になると、またそうばかり行かぬ点があります。仮に米斎君のやった舞台装置を他の画家が見に来るとします。米斎君の方では芝居の都合を考えてやった事でも、久保田君はあんな事を知らないか、という風になりかねない。専門家とすればそこがむずかしいわけでしょう。批評する方に芝居気があればいいけれども、まるで帝展の画でも見るような調子で、直《す》ぐに物を識らないといって非難されては困る。自分の立場もある程度までは守らなければなりますまい。昔なら「そこが芝居だ」という迯道《にげみち》があったので、「
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