久保田米斎君の思い出
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鬘《かずら》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)六人|乃至《ないし》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)がらくた[#「がらくた」に傍点]
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 久保田米斎君の事に就て何か話せということですが、本職の画の方の事は私にはわかりませんから、主として芝居の方の事だけ御話するようになりましょう。これは最初に御断りしておきます。
 たしかな事はいえませんが、私の知っている限りでは、米斎君がはじめて舞台装置をなすったのは、明治三十七年の四月に歌舞伎座で、森鴎外博士の『日蓮上人辻説法』というものを上演しました。その時分に御父さんの米僊先生がまだ御達者で、衣裳とか、鬘《かずら》とかいう扮装の考証をなすった。その関係で息子さんの米斎君が、舞台装置をやったり、背景を画いたりなすったのです。今では局外の者が背景を画いたり、舞台装置をやったりすることも珍しくありませんが、その時分は芝居についている道具方がやるのが普通で、外の方がやるのは珍しかった。それでこの時も、大変
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