ポをツンポルテンに著ているのが本当であっても、それが白く塗って女にでも惚れられるような役だというと、どうも恰好《かっこう》がつかない。嘘でも袖を丸くして、長い著物にしてもらわなければ工合が悪いのです。芝居というものはイリュージョンを破りさえしなければいいので、何も有職故実《ゆうそくこじつ》をおぼえに来るところじゃない。もしそんなつもりで来る人があれば、その方が心得違いなんですから、大体その時代らしく、芝居としても都合のいいように拵えればいいわけなのだが、学者の考証家先生になると、なかなかそう行かない。新規に道具を拵えさせてみたり、見物に見えないような細かいところまで、むずかしい考証が出たりして困るのですが、米斎君ならそういう心配がなかった。芝居として都合のいいように考えて下さるから、芝居も助かり、作者も助かるのです。今後はどういう方がやって下さるか知りませんが、そう申しちゃ失礼だけれども、馴れないうちは御互に困る事が出来やしないかと思います。
 芝居の舞台装置をはじめてやる方は、平生から芝居をよく見てて僕ならこうやるというわけで、蘊蓄《うんちく》を傾けられるのですが、芝居の方には二百何
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