々にここを立退《たちの》いた。K氏の普請場に家の人は見えなかったので、挨拶もせずに帰った。
それからO氏の家をたずねて、玄関先で十五分ばかり話して別れた後、足ついでに近所を一巡すると、途中でいくたびか知人に出逢った。男もあれば、女もある。その懐しい人々の口からその後の出来事について色々の報告を聞かされたが、特にわたしを驚かしたのは、死んだ人の多いことであった。
震災当時、麹町には殆《ほとん》ど数えるほどの死傷者もなかった。甲の主人、乙の細君、丙のおかみさん、その人々の死んだのは皆その以後のことである。勿論、死んだ人々は皆それそれの寿命であって、震災とは何の関係もないのであるかも知れないが、わずかに一年を過ぎないあいだにこうも続々|仆《たお》れたのは、やはりかの震災に何かの縁を引いているように思われてならない。その死因は脳充血とか心臓破裂とか急性腎臓炎とか大腸|加答児《カタル》とかいうような、急性の病気が多かったらしい。それには罹災《りさい》後のよんどころない不摂生もあろう。罹災後の重なる心労もあろう。罹災者はいずれもその肉体上に、精神上に、多少の打撃を蒙《こうむ》らない者はない。そ
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