並の感想であるが、この場合そう感じるのほかはなかったのである。
 隣にK氏の新しい建物が立っているので、わたしの旧宅地もすぐに見出されたが、さもなければ容易にその見当が付き兼ねて、路に迷った旅人のように、この草原のなかを空しくさまよっている事になったかも知れない。わたしは自分の脊よりも高い草をかき分けて、ともかくも旧宅のあとへ踏み込んでみると、平地であったはずのところがあるいは高く、あるいは低く、なんだか陥《おと》し穽《あな》でもありそうに思われて迂濶《うかつ》には歩かれない。わたしの庭に芒《すすき》などは一株も栽えていなかったのであるが、どこから種を吹き寄せて来たものか、高い芒がむやみに生いしげって、薄白い穂を真昼の風になびかせているのも寂しかった。虫もしきりに鳴いている。白い蝶や赤い蜻蛉もみだれ合って飛んでいる。わたしはここで十年のあいだに色々の原稿を書きつづけた。ここから母と甥との葬式を出した。そんなことをそれからそれへと考えると、まったく蕉翁のいわゆる「夢の跡」である。
 いたずらに感傷的の気分に浸っていても仕様がないので、うるさく附き纏って来る藪蚊を袖で払いながら、わたしは早
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