ぶようになった。才色たぐいなきこの乙女を自分の屋形にたくわえてあるということが、あるじの一種の誇りとなって、客のあるごとに忠通は玉藻を給仕に召した。かりそめの物詣でや遊山《ゆさん》にもかならず玉藻を供に連れて出た。忠通がこの頃ようやく華美の風に染みて来たのも玉藻を近づけてから後のことであった。
玉藻が外から帰って来ると、長い袂はいつも重くなっていた。その袂へ人知れずに投げ込まれたかずかずの文《ふみ》や歌には、いずれもあこがれた男どもの魂がこもっていたが、玉藻は一度も返しをしなかった。それでも根気よくまつわって来る者が多いので、彼女の袂はきょうもよほど重くなっているらしかった。それを察して、今度は兼輔の方からなぶるように言った。
「のう、玉藻の前。きょうはお身の袂も定めて重いことでござろう。身投げするものは袂に小石を拾うて入るるとかいうが、お身のように重い袂を持っている者が迂闊にこの流れに陥《おちい》ったら、なかなか浮かびあがられまい。気をつけたがようござるぞ」
精いっぱい軽口《かるくち》のつもりで彼は自分から笑ってかかると、玉藻も堪えられないように、扇で顔をかくしながら言った。
「
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