いた。ふたりは田圃路のまん中で向かい合った。
「じいさま。どこへゆく」
 挨拶なしで行き違うわけにもいかないので、千枝松の方からまず声をかけると、翁はゆがんだ烏帽子を押し直しながら、いつもの通りに笑っていたが、その頤《あご》には少し痩せがみえた。
「これじゃ。婆の墓参りじゃ」と、彼は手に持っている紅い花を見せた。
「婆どのが死んだか」と、千枝松もさすがに驚かされた。「いつ死なしゃれた。急病か」
「おお、丁度おまえが来て、いさかいをして帰った晩じゃ」
 その夜ふけにそっと戸を叩いた者がある。婆はいつもの寝坊に似合わず、すぐに起きて戸をあけた。外には誰が立っていたのか知らないが、彼女はそのままするり[#「するり」に傍点]と表へ出て行って、夜の明けるまで帰って来なかった。翁も不思議に思って近所に聞き合わせたが、なにぶんにも夜更けのことで誰も知っている者はなかった。だんだんあさり尽くした揚げ句に、翁はふと過日《かじつ》の杉の森を思いついて、念のために森の奥へはいってみると、婆は藻と同じようにかの古塚の下に倒れていた。しかし彼女は何者にか喉を啖《く》い破られていて、とてもその魂を呼びかえすすべは
前へ 次へ
全285ページ中72ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング