にすべって転んだのがもとで、それからどっと床に就くようにならしゃれた。三年坂でころんだものは、三年生きぬと聞いている」と、藻の声はうるんでいた。
邪魔な梢の多いところを出離れたので、月はまた明かるい光りを二人の上に投げた。玉のような藻の頬には糸を引いた涙が白くひかっていた。千枝松は又すぐに打ち消した。
「三年坂というのは嘘じゃ。ありゃ産寧坂というのじゃ。ころんだとて、つまずいたとて、はは、何があろうかい」
むぞうさに言い破られて、藻はまた口を結んでしまった。二人は山科《やましな》の方をさして夜の野路を急いで行った。いったんは男らしく強そうに言ったものの、少年の胸の奥にも三年坂の不安が微かに宿っていた。
「お前の父御《ててご》の病気も長いことじゃ。きょうでもう幾日になるかのう」と、彼は歩きながら訊いた。
「もうやがて半年じゃ。どうなることやら、心細いでのう」
「医師《くすし》はなんと言わしゃれた」
「貧に暮らす者の悲しさは、医師もこの頃は碌《ろく》ろくに見舞うて下さらぬ」と、藻は袖を眼にあてた。「まだそればかりでない。父さまが長のわずらいで、家《うち》じゅうのあるほどの物はもうみんな
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