なった千枝太郎は木のうしろから衝《つ》とあらわれて、覚束ない月の光りでその車の正体を見届けようとすると、不思議に車の轅《ながえ》は向きをかえた。かれを追う牛飼いもないのに、牛はおとなしく向き直って、元来た京の方へのろのろと歩んで行くのであった。千枝太郎はおどろいた。驚くと共に彼の疑いはいよいよ募って、なんの分別もなしに車のあとを追った。歩みの遅い牛の尻へ彼はすぐに追い付いて、右の轅に取り付きながら前すだれを無遠慮にさっと引きめくると、薄い月は車のなかへ夢のように流れ込んで、床《とこ》にすわっている女の顔を微かに照らした。
 その顔をひと目見て千枝太郎は立ちすくんだ。車のぬしは三浦の孫娘の衣笠であった。衣笠が今頃ただ一人でどうしてこんな所へ来たのか。千枝太郎は自分の眼を疑うように、呆れてしばらく眺めていると、すだれはおのずからさらりと落ちて、車は再びゆるぎ出した。
「わらわに恋するなど及ばぬことじゃ。思い切れ。思い切らぬと命がないぞ」
 すだれのなかでは朗《ほがら》かな声で言った。

    三

 なんの祈願《ねがい》か、なんの呪詛《のろい》か。殊に外出を封じられている衣笠が、この夜ふ
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