。時どきに鵙《もず》も啼いて通った。
「わしは歌を詠《よ》めぬのがくやしい」
千枝松が突然に言い出したので、藻は美しい眼を丸くした。
「歌が詠めたらどうするのじゃ」
「このような晴れやかな景色を見ても、わしにはなんとも歌うことが出来ぬ。藻、お前は歌を詠むのじゃな」
「父《とと》さまに習うたけれど、わたしも不器用な生まれで、ようは詠まれぬ。はて、詠まれいでも大事ない。歌など詠んで面白そうに暮らすのは、上臈《じょうろう》や公家《くげ》殿上人《てんじょうびと》のすることじゃ」
「それもそうじゃな」と、千枝松は笑った。「実はゆうべ家へ帰ったら、叔父御が京の町からこのようなことを聞いて来たというて話しゃれた。先日関白殿のお歌の会に『独り寝の別れ』というむずかしい題が出た。独り寝に別れのあろう筈がない。こりゃ昔から例《ためし》のない難題じゃというて、さすがの殿上人も頭を悩まされたそうなが、どう思案しても工夫が付かないで、一人も満足な歌を詠み出したものがなかった。この上は広い都に住むほどの者、商人《あきうど》でも職人でも百姓でも身分はかまわぬ。よき歌を作って奉《たてまつ》るものには莫大の御褒美を下
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