て、藻はしずかに頭をあげた。彼女の顔は白い玉のように輝いていた。彼女の眉は若い柳の葉よりも細く優しくみえた。彼女の眼は慈悲深い観音のそれよりもやわらかく清げに見えた。その尊げな顔、その優しげなかたち、これが果たして人間の胤《たね》であろうかと、色を好まない忠通も思わず驚歎の息をのんで、この端麗なる乙女の顔かたちをのぞき込むように眺めていた。六十に近い信西入道も我にもあらで素絹《そけん》の襟をかき合わせた。
「年は幾つじゃ」と忠通はまた訊いた。
「十四歳に相成りまする」
「ほう、十四になるか。才ある生まれだけに、年よりまして見ゆる。歌は幾つの頃から誰に習うた」
この問いに対して、藻はあきらかに答えた。自分は字音《じおん》仮名づかいを父に習ったばかりで、これまで定まった師匠に就いて学んだことはない。いわば我流でお恥ずかしいと言った。その偽らない、誇りげのない態度が、いよいよ忠通の心をひいた。彼は更に打ち解けて言った。
「なにびとも詠み悩んだ独り寝の別れの難題を、よう仕まつった者には相当の褒美を取らそうと、忠通かねて約束してある。そちには何を取らそうぞ。金《かね》か絹か、調度のたぐいか、なんなりとも望め」
藻の涙は染め絹の袖にはらはらとこぼれた。
「ありがたい仰せ。つたない腰折れをさばかりに御賞美下されまして、なんなりとも望めとある、そのおなさけに縋《すが》って、藻一生のお願いを憚りなく申し上げてもよろしゅうござりましょうか」
「おお、よい、よい。包まずに申せ」と、忠通は興《きょう》ありげにうなずいた。
「父行綱が御赦免《ごしゃめん》を……」
言いかけて、彼女は恐るおそる縁の上に平伏した。忠通と信西とは眼をみあわせた。忠通の声はすこしく陰《くも》った。
「優しいことを申すよのう。恩賞として父の赦免を願うか」
この願いは二様《によう》の意味で忠通のこころを動かした。第一は乙女の孝心に感じさせられたのと、もう一つには自分の過去に対する微かな悔み心を誘い出されたのとであった。北面《ほくめん》の行綱に狐を射よと命じたのは自分である。行綱が仕損じた場合に、ひどく気色《けしき》を損じたのも自分である。勅勘とはいえ、そのとき自分に彼を申しなだめてやる心があれば、行綱はおそらく家の職を剥がれずとも、済んだのであろう。勿論、彼にも落度はあるが、さまでに厳しい仕置きをせずともよかった
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