玉藻の前
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)白銀《しろがね》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)烏帽子|折《お》りの子であった。

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ま[#「ま」に傍点]よ
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清水詣《きよみずもう》で

    一

「ほう、よい月じゃ。まるで白銀《しろがね》の鏡を磨《と》ぎすましたような」
 あらん限りの感嘆のことばを、昔から言いふるしたこの一句に言い尽くしたというように、男は晴れやかな眉をあげて、あしたは十三夜という九月なかばのあざやかな月を仰いだ。男は今夜の齢《よわい》よりも三つばかりも余計に指を折ったらしい年頃で、まだ一人前の男のかずには入らない少年であった。彼はむろん烏帽子《えぼし》をかぶっていなかった。黒い髪をむすんでうしろに垂れて、浅黄《あさぎ》無地に大小の巴《ともえ》を染め出した麻の筒袖に、土器《かわらけ》色の短い切袴《きりばかま》をはいていた。夜目にはその着ている物の色目もはっきりとは知れなかったが、筒袖も袴も洗いざらしのように色がさめて、袴の裾は皺《しわ》だらけに巻くれあがっていた。
 そのわびしい服装《みなり》に引きかえて、この少年は今夜の月に照らされても恥ずかしくないほどの立派な男らしい顔をもっていた。彼に玉子色の小袖を着せて、うす紅梅の児水干《ちごすいかん》をきせて、漢竹の楊条《ようじょう》を腰にささせたらば、あわれ何若丸とか名乗る山門の児《ちご》として悪僧ばらが渇仰随喜《かつごうずいき》の的《まと》にもなりそうな美しく勇ましい児ぶりであった。しかし今の彼のさびしい腰のまわりには楊条もなかった。小《ちい》さ刀《がたな》も見えなかった。彼は素足に薄いきたない藁草履《わらぞうり》をはいていた。
「ほんによい月じゃ」
 彼に口をあわせるように答えたのは、彼と同年か一つぐらいも年下かと思われる少女で、この物語の進行をいそぐ必要上、今くわしくその顔かたちなどを説明している余裕がない。ここでは唯、彼女が道連れの少年よりも更に美しく輝いた気高い顔をもっていて、陸奥《みちのく》の信夫摺《しのぶず》りのような模様を白く染め出した薄萌黄《うすもえぎ》地の小振袖を着て、やはり素足に藁草履をはいていたというだけを、記《しる》すにとどめて置きたい。
 
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