少年と少女とは、清水《きよみず》の坂に立って、今夜の月を仰いでいるのであった。京の夜露はもうしっとりと降《お》りてきて、肌の薄い二人は寒そうに小さい肩を擦り合ってあるき出した。今から七百六十年も前の都は、たとい王城の地といっても、今の人たちの想像以上に寂しいものであったらしい。ことにこの戊辰《つちのえたつ》の久安《きゅうあん》四年には、禁裏に火の災《わざわ》いがあった。談山《たんざん》の鎌足公《かまたりこう》の木像が自然に裂けて毀《こわ》れた。夏の間にはおそろしい疫病がはやった。冬に近づくに連れて盗賊が多くなった。さしもに栄えた平安朝時代も、今では末の末の代になって、なんとはなしに世の乱れという怖れが諸人の胸に芽を吹いてきた。前に挙げたもろもろの災いは、何かのおそろしい前兆であるらしく都の人びとをおびやかした。
 そのなかでも盗賊の多いというのが覿面《てきめん》におそろしいので、この頃は都大路《みやこおおじ》にも宵から往来が絶えてしまった。まして片隅に寄ったこの清水堂《きよみずどう》のあたりは、昼間はともあれ、秋の薄い日があわただしく暮れて、京の町々の灯がまばらに薄黄色く見おろされる頃になると、笠の影も草履の音も吹き消されたように消えてしまって、よくよくの信心者でも、ここまで夜詣りの足を遠く運んで来る者はなかった。
 その寂しい夜の坂路を、二人はたよりなげにたどって来るのであった。月のひかりは高い梢にささえられて、二人の小さい姿はときどきに薄暗い蔭に隠された。両側の高藪《たかやぶ》は人をおどすように不意にざわざわと鳴って、どこかで狐の呼ぶ声もきこえた。
「のう、藻《みくず》」
「おお、千枝《ちえ》ま[#「ま」に傍点]よ」
 男と女とはたがいにその名を呼びかわした。藻は少女の名で、千枝松は少年の名であった。用があって呼んだのではない、あまりの寂しさに堪えかねて、ただ訳もなしに人を呼んだのである。二人はまた黙ってあるいた。
「観音さまの御利益《ごりやく》があろうかのう」と、藻はおぼつかなげに溜息をついた。
「無うでか、御利益がのうでか」と、千枝松はすぐに答えた。「み仏を疑うてはならぬと、叔母御が明け暮れに言うておらるる。わしも観音さまを信仰すればこそ、こうしてお前と毎夜連れ立って来るのじゃ」
「それでも父《とと》さまはこの春、この清水詣でに来たときに、三年坂で苔《こけ》
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