怖るおそる立った。階段の下には彼のほかに大勢の唐人《とうじん》が控えていた。
「しっ」
 人を叱るような声がどこからともなくおごそかに聞こえて、錦の帳は左右に開いてするすると巻き上げられた。正面の高いところには、錦の冠をいただいて黄色い袍《ほう》を着た男が酒に酔ったような顔をして、珠をちりばめた榻《とう》に腰をかけていた。これが唐人の王様であろうと千枝松は推量した。王のそばには紅の錦の裳《すそ》を長く曳いて、竜宮の乙姫《おとひめ》さまかと思われる美しい女が女王のような驕慢な態度でおなじく珠の榻に倚りかかっていた。千枝松は伸び上がってまたおどろいた。その美しい女はやはりあの藻をそのままであった。
「酒はなぜ遅い。肉を持って来ぬか」と王は大きい声で叱るように呶鳴った。
 藻に似た女は妖艶なひとみを王の赤い顔にそそいで高く笑いこけた。笑うのも無理はない、王の前には大きい酒の甕《かめ》が幾つも並んでいて、どの甕にも緑の酒があふれ出しそうに満《なみ》なみと盛ってあった。珠や玳瑁《たいまい》で作られた大きい盤の上には、魚の鰭《ひれ》や獣の股《もも》が山のように積まれてあった。長夜の宴に酔っている王の眼には、酒の池も肉の林ももうはっきりとは見分けがつかないらしかった。家来どもも侍女らもただ黙って頭をたれていた。
 そのうちに藻に似た女が何かささやくと、王は他愛なく笑ってうなずいた。家来の唐人はすぐに王の前に召し出されて何か命令された。家来はかしこまって退いたかと思うと、やがて大きい油壺を重そうに荷《にな》って来た。千枝松は今まで気がつかなかったが、このとき初めて階段の下の一方に太いあかがねの柱が立っているのを見つけ出した。大勢の家来が寄って、その柱にどろどろした油をしたたかに塗り始めると、ほかの家来どもはたくさんの柴を運んで来て、柱の下の大きい坑《あな》の底へ山のように積み込んだ。二、三人が松明《たいまつ》のようなものを持って来て、またその中へ投げ込んだ。ある者は油をそそぎ込んだ。
「寒いので焚火をするのか知らぬ」と、千枝松は思った。しかし彼の想像はすぐにはずれた。
 柴はやがて燃え上がったらしい。地獄の底から紅蓮《ぐれん》の焔を噴くように、真っ赤な火のかたまりが坑いっぱいになって炎々と高くあがると、その凄まじい火の光りがあかがねの柱に映って、あたりの人びとの眉や鬢《びん》を鬼の
前へ 次へ
全143ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング