は世にたぐいなく美しゅう見えるが、あれは人間ではない。十万年に一度あらわるる怖ろしい化生《けしょう》の者じゃ。この天竺の仏法をほろぼして、大千《だいせん》世界を魔界の暗闇に堕《おと》そうと企《くわだ》つる悪魔の精じゃ。まずその手始めとして斑足太子をたぶらかし、天地|開闢《かいびゃく》以来ほとんどそのためしを聞かぬ悪虐をほしいままにしている。今お前が見せられたのはその百分の一にも足らぬ。現にきのうは一日のうちに千人の首を斬って、大きい首塚を建てた。しかし彼女《かれ》が神通自在でも、邪は正にかたぬ。まして天竺は仏の国じゃ。やがて仏法の威徳によって悪魔のほろぶる時節は来る。決して恐るることはない。しかし、いつまでもここに永居《ながい》してはお前のためにならぬ。早く行け。早う帰れ」
僧は千枝松の手を取って門の外へ押しやると、くろがねの大きい扉《とびら》は音もなしに閉じてしまった。千枝松は魂が抜けたように唯うっとりと突《つ》っ立っていた。しかし幾らかんがえ直しても、かの華陽夫人とかいう美しい女は、自分と仲の好い藻に相違ないらしく思われた。化生の者でもよい。悪魔の精でも構わない。もう一度かの花園へ入り込んで、白い象の上に乗っている白い女の顔をよそながら見たいと思った。
彼はくろがねの扉を力まかせに叩いた。拳《こぶし》の骨は砕けるように痛んで、彼ははっと眼をさました。しかし彼はこのおそろしい夢の記憶を繰《く》り返すには余りに頭が疲れていた。彼は枕に顔を押し付けてまたすやすやと眠ってしまった。
二
第二の夢の世界は、前の天竺よりはずっと北へ偏寄《かたよ》っているらしく、大陸の寒い風にまき上げられる一面の砂煙りが、うす暗い空をさらに黄色く陰《くも》らせていた。宏大な宮殿がその渦巻く砂のなかに高くそびえていた。
宮殿は南にむかって建てられているらしく、上がり口には高い階段《きざはし》があって、階段の上にも下にも白い石だたみを敷きつめて、上には錦の大きい帳《とばり》を垂れていた。ところどころに朱く塗った太い円い柱が立っていて、柱には鳳凰《ほうおう》や龍や虎のたぐいが金や銀や朱や碧や紫やいろいろの濃い彩色《さいしき》を施して、生きたもののようにあざやかに彫《ほ》られてあった。折りまわした長い欄干《てすり》は珠《たま》のように光っていた。千枝松はぬき足をして高い階段の下に
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