飛び出してから吉次郎と呼んでゐた。かれは左官屋になるまでに所々をながれあるいて、色々のことをしてゐたらしい。それについては吉次郎も一々|委《くは》しく語らなかつたが、この話はかれが二十四五の頃で、浅草のある鰻屋にゐた時の出来事である。最初は鰻裂きの職人として雇はれたのであるが、ともかくも武家の出で、読み書きなども一と通りは出来るのを主人に見込まれて、そこの家《うち》の養子になつた。さうして、養父と一緒に鰻の買ひ出しに千住へも行き、日本橋の小田原町へも行つた。
 ある夏の朝である。吉次郎はいつもの通りに、養父と一緒に日本橋へ買ひ出しに行つて、幾笊かのうなぎを買つて、河岸の軽子《かるこ》に荷はして帰つた。暑い日のことでもあるから、汗をふいて先づ一と休みして、養父の亭主がそのうなぎを生簀《いけす》へ移し入れようとすると、そのなかに吃驚《びつくり》するほどの大うなぎが二匹まじつてゐるのを発見した。亭主は吉次郎をよんで訊いた。
「河岸で今日仕入れたときに、こんな荒い奴はなかつたやうに思ふが、どうだらう。」
「さうですね。こんな馬鹿にあらい奴はゐませんでした。」と、吉次郎も不思議さうに云つた。

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