入れず、重体の亭主を奥の三畳へなげ込んだまゝで、誰も看病する者もないといふ有様であつた。
 余事はともあれ、重病の主人を殆ど投げやりにして置くのは何事であるかと、吉次郎もおどろいて養母を詰《なじ》ると、彼女の返事はかうであつた。
「おまへは遠方にゐて何にも知らないから、そんなことを云ふのだが、まあ、病人のそばに二三日附いてゐて御覧、なにも彼もみんな判るから。」
 何しろ病人をこんなところに置いてはいけないと、吉次郎は他の奉公人に指図して、養父の寝床を下座敷に移して、其日から自分が附切りで看護することになつたが、病人は口をきくことが出来なかつた。薬も粥も喉へは通らないで、かれは水を飲むばかりであつた。彼はうなぎのやうに頬をふくらせて息をついてゐるばかりか、時々に寝床の上で泳ぐやうな形をみせた。医者もその病症はわからないと云つた。しかし吉次郎には犇々《ひしひし》と思ひ当ることがあるので、その枕もとへ寄付かない養母をきびしく責める気にもなれなくなつた。彼はあまりの浅ましさに涙を流した。
 それから二月ばかりで病人はたうとう死んだ。その葬式が済んだ後に、吉次郎はあらためて養家を立去ることになつ
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