くなつた。かれは夏のみじか夜の明けるを待ちかねて、養家のうなぎ屋を無断で出奔した。
 上総に身寄りの者があるので、吉次郎は先づそこへ辿り着いて、当分は忍んでゐる事にした。併し一旦その家の養子となつた以上、いつまでも無断で姿を隠してゐるのはよくない。万一養家の親たちから駈落の届けでも出されると、おまへの身の為になるまいと周囲の者からも注意されたので、吉次郎は二月ほど経つてから江戸の養家へたよりをして、自分は当分帰らないと云ふことを断つてやると、養父からは是非一度帰つて来い、何かの相談はその上のことにすると云つて来たが、もとより帰る気のない吉次郎はそれに対して返事もしなかつた。
 かうして一年ほど過ぎた後に、江戸から突然に飛脚が来て、養父はこのごろ重病で頼みすくなくなつたから、どうしても一度戻つて来いと云ふのであつた。あるひは自分をおびき寄せる手だてではないかと一旦は疑つたが、まだ表向きは離縁になつてゐる身でもないので、仮にも親の大病といふのを聞き流してゐることも出来まいと思つて、吉次郎は兎も角も浅草へ帰つてみると、養父の重病は事実であつた。しかも養母は密夫をひき入れて、商売には碌々に身を
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