が、舞台は変って四年の後、天保七年九月の中頃……。」
「芝居ならば暗転というところですね。」
「まあ、そうだ。その九月の十四日か十五日の夜も更けたころ、男と女の二人づれが、世を忍ぶ身のあとやさき、人目をつつむ頬かむり……。」
「隠せど色香梅川が……。」
「まぜっ返しちゃあいけない。その二人づれが千住の大橋へさしかかった。」
「わかりました。その女は小雛でしょう。」
「君もなかなか勘がいいね。女は柳橋の小雛で、男は秩父の熊吉、この熊吉は巾着切《きんちゃっきり》から仕上げて、夜盗や家尻切《やじりきり》まで働いた奴、小雛はそれと深くなってしまって、土地にもいられないような始末になる。男も詮議がきびしいので江戸にはいられない。そこで二人は相談して、ひとまず奥州路に身を隠すことになって、夜逃げ同様にここまで落ちて来ると、うしろから怪しい奴がつけて来る。それが捕り方らしいので、二人も気が気で無い。道を急いで千住まで来ると、今夜はあいにくに月が冴えている。
 世を忍ぶ身に月夜は禁物だが、どうも仕方がない。二人は手拭に顔をつつんで、千住の宿《しゅく》を通りぬけ、今や大橋を渡りかけると、長い橋のまん中で
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