だけは無事に助かったので、大難が小難と皆んなが喜んだ。命に別条が無かったとはいいながら、あんまり小難でもなかったのさ。」
「その牛はどうしました。」
「牛も半死半生、もう暴れる元気もなく、おとなしく引摺られて行った。なにしろ大伝馬町の川口屋も災難、自分の店の初荷からこんな事件を仕出来《しでか》して、春早々から世間をさわがしたので、それがために随分の金を使ったという噂だ。さもないと、どんなお咎めを受けるかも知れないからな。自分の軒に立てかけてある材木が倒れて人を殺しても、下手人《げしゅにん》にとられる時代だ。これだけの騒動を起した以上、牛の罪ばかりでは済まされない。殊にこっちが大家《たいけ》では猶更のことだ。」
「そうですか。成程これで、牛と新年と芸者と……。三題話は揃いました。いや、有難うございました。」
「まあ、待ちなさい。それでおしまいじゃあない。」
「まだあるんですか。」
「それだけじゃ昔の三面記事だ。まだちっと話がある。」と、老人はまじめに言い出した。「年寄の話はとかくに因縁話になるが、その後談を聴いてもらいたい、今の一件は天保三年正月の出来事で、それはまあそれで済んでしまった
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