談洲楼と号していた。円朝は温順な人物であったが、燕枝は江戸っ子肌の暴っぽい人物で、高坐における話し口にもよくその性質をあらわしていた。好劇の結果、彼は落語家《はなしか》芝居をはじめ、各劇場で幾たびか公演して人気を取ったこともある。
燕枝も円朝と同様、文字の素養があって俳句などをも善くした。したがって、自作の続き話も多かったが、速記本などには余り多く現われていないようである。彼が得意とする人情話には、悪侍や無頼漢が活動する世界が多く、何となく円朝は上品、燕枝は下品であるかのように認められたのは、彼として一割方の損であったかも知れない。燕枝は明治三十三年二月十一日、六十八歳を以て世を去った。彼は円朝よりも五歳の兄で、円朝と同年に死んだのである。三遊派も柳派も同時にその頭領をうしなって、わが落語界も漸く不振に向かうこととなった。
燕枝の人情話の中で、彼が最も得意とするのは「嶋千鳥沖津白浪」であった。大坂屋花鳥に佐原の喜三郎を配したもので、吉原の放火や、伝馬町の女牢や、嶋破りや、人殺しや、その人物も趣向も彼に適当したものである。これは明治二十二年六月、大坂屋花鳥(坂東家橘)梅津長門(市川猿
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