作は松林伯円の講談であるが、舞台と高坐とは大いに相違し、単に原作の人名と略筋を借りただけで、ほとんど黙阿弥の創作と云って好いほどに劇化されている。今日しばしば繰り返される大口の寮の場の如きは、たとい寺西閑心や鳥目の一角の焼き直しであろうとも、講談以外の創作であることを認めなければならない。この作がこれほど有名になったのは、新富座の初演当時、河内山宗俊(団十郎)片岡直次郎(菊五郎)金子市之丞(左団次)大口屋の三千歳(岩井半四郎)という顔ぞろいで、いずれも好評を博したと云うことも確かに一つの原因であって、もし第二流の俳優によって上演せられ、その当時さしたる評判もなくて終わったらば、おそらく舞台の上に長い生命を持続し得なかったであろう。
 黙阿弥の作としては余りに高く評価すべき種類のもので無い。
 落語界に於いて三遊亭円朝に対峙したのは柳亭燕枝《りゅうていえんし》である。円朝一派を三遊《さんゆう》派といい、燕枝一派を柳《やなぎ》派と称し、明治の落語界は殆んどこの二派によって占領されているような観があった。殊に燕枝は非常な好劇家で、常に団十郎の家にも出入りし、団十郎の俳名団洲に模して、みずから
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