ているものと察せられる。
この狂言を初演の当時、越前守を勤める坂東彦三郎と作者黙阿弥とのあいだに衝突があり、黙阿弥は脚本を取り返して立ち帰ろうとするのを、座主《ざぬし》の守田勘弥らが仲裁して無事に納まったという。彦三郎が座頭《ざがしら》の位地と人気を恃《たの》んで、脚本|改竄《かいざん》の我儘を主張したが為である。彦三郎といえども黙阿弥には敵し得ない。結局屈伏して原作の通りに上演することになったが、この狂言は非常の好評であったと云えば、彦三郎もいよいよ屈伏したであろう。黙阿弥も定めて痛快を感じたであろう。この初演は明治八年一月の新富座で、主なる役割は大岡越前守(坂東彦三郎)天一坊、白石治右衛門(尾上菊五郎)山内伊賀之助、吉田三五郎(市川左団次)等であった。
明治以後の黙阿弥作として最もよく知られているものに「河内山」がある。明治十四年三月の新富座初演で、名題は「天衣紛《くもにまがう》上野初花」と云うことになっているが、黙阿弥は明治七年十月の河原崎座で「雲上野|三衣策前《さんえのさくまえ》」の名題のもとに同じ題材を取り扱っている。要するに「上野初花」は「雲上野」の改作である。これも原
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