之助)佐原の喜三郎(中村駒之助)等の役割で、通し狂言として春木座に上演された。
以上のほかにも、講談又は人情話の劇化されたものはたくさんある。ここでは最も有名な物のみを紹介したに過ぎない。劇場で講談又は人情話を上演するのは、あながちに題材に窮した為ではなく、寄席の高坐で売り込んだものを利用するという一種の興行策である。講談師や落語家も自分の読み物を上演されることを喜んだ。これも一種の宣伝になるからである。要するに、寄席と芝居と、たがいに持ちつ持たれつの関係で、高坐の話が舞台に移植されたのである。それも前に云う通り、円朝、燕枝らの死後は殆んど絶えた。
今日では寄席の高坐が映画館のスクリーンに変わって、映画のストーリーが舞台にしばしば移植されるようになった。これも時代の変化である。唯それを劇化する人々が如何なる態度を以てそれに臨むか。映画をそのままに伝えるか、あるいは自己の創意を加えるか。それに因って劇作家の価値もおのずから定まるであろう。[#地から2字上げ](昭和一〇・舞台)
附・明治時代の寄席
私は先き頃ある雑誌に円朝や燕枝のむかし話をかいた。それは特にめずらしい
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